2008年1月20日(日)
午後1時30分〜午後3時35分
会場・横瀬町町民会館
演題 「子どもたちにたしかな未来を」
講師・秋葉英則先生(大阪教育大学名誉教授・大阪健康福祉短期大学学長)
【講演要旨】
一昨年、40年間勤めた大阪教育大学を定年で辞め、すぐに新しい仕事に就いた。子どもたちの未来、国の未来にかかわる仕事だと自覚を持ち、それなりの仕事をしたいと努力してきた。定年を迎える直前、附属池田小学校で、外部から侵入した者によって8人の命が失われる事件があった。そのことにかかわり、今遺族の補佐に当たる仕事をしている。
戦後60年、二度と戦争をしない国づくりをしようと努力してきた。なぜ戦争が止められなかったか。戦前わが国は「子ども」という概念を持ち合わせず、「赤子」という概念で、国のために命を落とすことが幸せと教え込まれていた。憲法、児童憲章の制定を通して、「子ども」という概念がつくられ、それから60年の歳月が過ぎた。
戦後貧しくて学校にこられない子どもはいたが、不登校という言葉はなかった。ぐれた子どもはいたが、友達の、親や教師の命を奪う子どもはいなかった。社会はたしかに変わるが、人間の願いは幸せな人生を歩めるようにする、それを社会の発展と呼ぶ。今、本当に社会は発展しているのだろうか。現在、いのちや生活を守ることを、ことのほか大切に生きている。
携帯をもっていない。ワープロも使わない。携帯のない時代にも大学はあった。鉛筆も万年筆もある。今日は京都からこだまで来た。ずっとこだまを使っている。富士が見たいからだ。このこだわりをもってよかったのは今から15年前のこと。スイスのアルプスを訪れた。山をくりぬいてエレベーターが作られている。3000mの雪渓を触りたいと大勢の観光客が待っていた。イギリス人が肩をたたいて、「壁を見てご覧」と言いながら数えたのが、全部日本人の落書き。ツアー客がみんな書いたが、誰も止めた者がいない。戦後の経済成長が日本人の心をどこかへ連れて行こうとしている。落書きをした者は、富士山の美しさを知らないのではないか。こだまは名古屋まで4名、過ぎても28名しか乗っていなかった。のぞみもひかりも満席。乗っている人で、私以外富士を見ていたものはいなかった。立ち止まらないと、きれいだなとは気づかない。あいつを呼んで見せたいな、と感じる。美は人を呼ぶ。歩きながら携帯を使い、立ち止まって考えることを忘れている。
日本のこの現実は世界の中で一般的なのか。戦後生まれた「二度と戦争をしない」という思いを世界的に展開したのが国際連合。現在ほとんどの国が加入している。すべてではないが。その下部機関にユネスコがある。まだ発展途上国で苦労している子どもたちを助け、子どもが兵士にとられている現実にストップをかけようというのがユネスコの目的。去年ユネスコが「子どもの幸福度調査」をOACD加盟187カ国を対象に行った。「子どもはどんな状態ですごしていれば幸せか」ユネスコが定義した。その定義は次の4つの観点にそって出された。
(1) 大人からの暖かいまなざしを受けているかどうか。
(2) 学ぶ楽しみ、発見の喜びがあるかどうか。
(3) 子ども時代に経験できる子どもの遊び、とりわけ手を使った遊びを豊かに展開できているかどうか
(4) 大人への信頼が子どもから発せられているかどうか。
その定義にそった調査の結果、もっとも幸せな国はオランダと北欧、もっとも深刻に受け止めなければならないのはアメリカとイギリス。その間は発表していない。日本はおそらく真ん中より下位であろう。なぜなら、子どもの権利条約を批准した国は、3年に一度権利条約に沿った報告義務がある。日本は1回目の報告に対して勧告を受けたが、2回目の報告の際に是正されておらず、きついおしかりを受けた。昨年は3回目の報告の年だったが、政府は報告の準備をしていない。勧告では、日本の子どもは過度なまでの競争を強いられ、発達障害を起こす危険がある、と指摘されていたからである。
物事を決めるのに下から意見をあげて決めるボトムアップと、上が決めて下ろすトップダウンとあるが、この会(子育てネットワーク)はボトムアップの会だと思う。皆さんは国連が指摘した「子どもに過度なまでの競争をしている大人たち」ではないと思う。でも、いるかもしれない。「がんばれ、がんばれ」「やればできるのよ」と言っている。これは競争。学習指導要領が7年に1回かえられるようになってしまった、体育に武道、小学校に外国語が入ってしまった。授業が週1〜2時間増える。秩父も塾塾しているのではないか。新自由主義経済を教育の分野にも根付かせてしまう。能力主義、これは近代経済学の概念。好きで結婚してできた愛しい我が子、それは普遍的な価値。高度経済成長の中で、子どもたちは温かいまなざしで見つめられているのか、学ぶ楽しみを見つけられているのか、子どもの遊びができているのか、大人を信頼できているのか、友達への信頼を持ちえているのか。虐待はなかなかなくならない。朝日新聞が虐待を連続して調べているが、連載の回数を入れなくなった。最大の原因は暮らしの厳しさ。それをかえてくれるのは政治。国会で「勝ち組・負け組」と言われたが、そんな言葉を使うべきではない。憲法14条に「幸福を追及する権利」がある。そういう生活をつくらなければならない。不登校15万という数字があるが、その子どもに問題があるのではない。子どもたちはがんばってきたのに、どこにいたら良いのかわからない、未来が見えない。ストレスがたまり、鬱になる。そうなれば自傷行為か物を壊すか、行き詰れば人の命を奪う、自殺…。そういう出来事にかかわる下位の年齢が今までのデータで12歳。長崎の駐車場から子どもを落としたのが12歳、そのしばらく後に佐世保でネット書き込みのトラブルで友達を刺し殺したのも12歳。大学生でもあるが、上は17歳までが多い。思春期が一番の節になっている。発達段階でもっともこえにくい節と言われている。最初にルソーの「エミール」で指摘されている。思春期が人生の最大の危機である、と書き、3つの比喩で説明している。1つめの比喩は、嵐に先立って海が荒れ騒ぐようなものだ。嵐が来るのはわかるが、どれくらいの嵐が来るのかはわからない。2つめの比喩は、熱病にかかったライオンのようなもの。ライオンは普段はのしのし歩いているが、病気になると走り出し、岩に頭を打って死ぬものもいるそうだ。恐さ知らず。3つ目の比喩は、醗酵している酵母菌のようなもの。何が生まれるかわからない。これ以前ともちがう、これ以降ともちがう、この時期の最大の特徴は、目が口ほどに物を言う。この時期のもっとも豊かな教育の手立ては、直接法ではなく間接法である。「がんばれ」ではなく、「ご苦労様」と言ってやる。センター試験の監督をしていて何年か前のこと。終わりの時に「二日間、本当にご苦労様」と言ったら、男子生徒が立って「先生もご苦労様でした」。最後に出た女子生徒2人が、帰りながら頭を下げ「先生、お世話になりました」。
12歳から17歳の子どもが、友達の命・教師の命を奪うのはどこか。みんな学校である。親の命を奪うのはどこか。みんな家庭である。親を殺して、腕をのこぎりで切って、色をつけて植木鉢に立てた。そんなことが高校生にできるのか。子どもにとって学校・家庭が、ホッとできる居場所になっていない。それが全国で10万単位の子どもに起こっている。大都市だけでなく、日本中で起こっている。「こうなるのは構造的欠陥があるからだ」と政治家はよく言う。銀行がつぶれた、証券会社がつぶれた、でも質屋はひとつもつぶれていない。赤福、吉兆、製紙会社、みんな悪さをしている。構造的欠陥があると言ってよい。全国一斉学力検査の結果を、なぜ最下位まで発表するのか。沖縄は基地の騒音の中でがんばっている。教育条件を整備するのが教育行政の最大の任務なのに、それをせず、教育内容に土足で踏み込んできた。教師、親が疲れる。最近、教育再生会議がつくられた。まとめ役は教育の専門家でなければならないのに、ノーベル賞学者が務めている。ノーベル賞を受けたけど、化学分野である。頼まれても教育のプロではないから断るのが人の道ではないか。巨大なマスメディアが流す情報の中で、普通が見えなくなっている。普通の子どもは何か、そこが見えなくなっているのではないか。
最高の大学ではなく、「普通の大学」のありようを求められているのではないか。自分の勤めている短期大学の学生の実態を知りたいと思い、出向いて講義を行なってショックを受けた。前の2、3列はちゃんとやっているが、後ろはたむろしておしゃべりしている。大阪教育大では出席もとらなかったが、寝ている学生もおらず、みんな講義に出て来ていた。ほんまの教師は学生を批判しない。こちらに問題があるから、おしゃべりをしているんだろうと考える。短大の説明に高等学校をまわった教師から聞いた話、「高等学校は大変なことが起こっている。大阪の府立高校では3割中退している」。一番多い理由は授業料が払えなくてやめざるを得ない。次に多いのは、高等学校の生活になじめない。勉強がしんどくてやめたのと、高校の雰囲気になじめないのがある。おしゃべりをしても、休まずに来ている。おしゃべりするには仲間も必要。
殺人を犯した子どもの鑑定の結果はすべて、15歳以下は発達障害、それ以上は人格障害という言葉を使っている。「自己愛性人格障害」=コミュニケーション能力の欠如、自己中心性が強く、友達がいない。しんどい時に相談する友達がいない。学力は上位。勉強はできるけど仲間がいない。
認知症のおばあちゃんの所へ実習に言った学生。3日間物も食べてもらえなかったが、帰る時に「またきてや」と言われ、ボロボロ泣いた。人は大事な所で他人に世話をかけて生きている。首が座らない乳児の頃、年をとってから…。我が子に「お父ちゃん、おかあちゃん、年をとったらお前の世話になりたい」と言ってやれば良い。
去年我が家で一番大きかった出費は、築30年の我が家に雨漏りがはじまった。工事した業者は倒産していた。サイコロまかせで選んだら、当たりの瓦屋で、3人仕事に来た。かわらを屋根に上げて、リフトから遠くに運ぶのにリレー方式で投げ渡すのを半日ひたすら続け、その姿に惚れた。「瓦職人になるにはどこで学ぶのか」と聞いたら、3人とも「親方に惚れました」と答えた。聞くと、高2の時に親方の所でバイトをして、その時に惚れこんだ。最年長は9年やっているが、「一人前と言われるには10年かかります」との答。私の短大では2年で保育士・介護師の資格をとる…。仕事が終わってあいさつに来た親方に「いい弟子をお持ちですなぁ」と言うと、「うちの弟子は奈良でピカ一ですよ」と弟子にも聞こえるように答えた。「来年は幼稚園の先生やなぁ」など、未来の展望を持たせたら、おしゃべりは止まる。人間は変わる。大脳の最大の働きは可塑性。外部から力が加わると脳が変わり、二度と元に戻らない。
学力は普通で良い。学力がいくら高くても、未来を切り開く力にならない。東京大学を中退するものがいる、東大卒で就職して5年経たずにやめるものがいる。人は人に惚れて人になる。「がんばれ、がんばれ」だけでは子どもは育たない。「お父さんみたいな仕事をしてみないか」「どんな仕事をしてみたいか」と尋ねる。まずそれを考えるべきである。自分の子どもにどんな仕事に就きたいか聞いたことがあるか。(教師は)三者面談で何を聞いているか。親は教師に「自分の子どもはどんな仕事がむいているか」聞いてみると良い。学力が高ければ何でもできると思い込まされている。事態は深刻である。関西では2日に一度大人の自殺がある。私鉄に飛び込むと損害賠償を請求されるので、みんなJRに飛び込む。50代前後がトップで、20代前半が次ぐ。命を守るこだわりが薄れている。歴代の政権はなんだかんだ言って自衛隊を維持してきたが、前の前の総理は自衛隊を軍隊と呼び、前の総理は防衛庁を防衛省にかえた。この先、戦争が起こらない、と言い切れない状況になっている。
【質疑応答】
Q1:発達障害のことをおっしゃっていたが、小学入学前の幼児教育を重視しておかないと発達障害になる可能性が高くなると思い、そのへんについて先生の考えを聞きたい。
Q2:高校・中学の子どもを持つが、見ていると疲れている。「がんばれ」と言いすぎているのかな。秩父市は昨年夏休みを1週間短くして「がんばれ」とするようになった。子どもたちがおとなしくなったように感じる。疲れている子どもたちにどんな言葉をかけたら、子どもたちに少しでもやさしい未来を与えられるか、親としての心配りを教えて欲しい。
Q3:小6男児の親だが、子どもが学ぶ楽しみや発見の喜びを持つことが大切だとか、将来何になりたいか聞いたことがあるか、と話をされたが、何になりたいかわからない、何のために勉強するのか、と言われる。そういう時にはどのように話しかけたら良いか。
A:発達と同じような概念として、成長、成熟という言葉もあるが、指し示す内容がちがう。後二者は身体の性的な成熟を意味しており、体が守られていることが大切。人間は大脳を持ち、その可塑性が大切、それを導くのが幼児教育の役目。5年間生きてきた大脳に、保育を通して人間として生きる力を宿すことが幼児教育の目的。大脳を持つすべての動物は、命を守ることが考える。自殺は、自分の命を守るために、結果として体を破壊する。保育や教室の営みの本質は、命令・直接的な指示で展開するものではなく、自分がやってみたいと納得させて導くこと。社会性=自己と他者の関係。夫婦であっても異質の存在。友達になろうと思ったら折り合いをつけなければならず、それにはエネルギーが必要である。大人は人付き合いが下手。
社会性の本質を言い切れば、人の情愛。人は依存しつつ、自立する。自分を大切にしてくれる人がいればいるほど、がんばらなければならないという気持ちになる。Q2の人は、なんだかんだと言って、子どものことを考えていると伝わる。食が大切なので、考えてあげてほしい。子どもは疲れているので、とにかく明るい家庭の雰囲気をつくってほしい。1年に一度でいいから、たまには子どもと一緒に「本物」を見て欲しい。
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