勝田マラソン
の思い出


初マラソンで受けた洗礼

私のマラソンデビューは1984年2月11日の勝田マラソン
その頃はまだ会社の陸上競技部員でした。
初マラソンに勝田を選んだ理由は、当時の勝田マラソンの大会記録を陸上競技部の先輩が持っていたから。
コース状況のアドバイス等を先輩からもらい同年齢の競技部の仲間と2人で参加しました。
初マラソンの結果はハッキリ言って暴走による自滅でした。
原因は、最初の目標自体が高過ぎた事と一緒に行った仲間を追いかけ過ぎた事でしょう。
競技部からはマラソンを走るからには福岡国際マラソンの標準記録(当時は2時間27分)
を突破するつもりで走れと言われていたので
2時間25分を目標に5キロ17分のペース走で試合に挑みました。
もちろんその為の練習を2ヶ月続けていたのですが、体がきつくなってきた25キロからも
一緒に行った仲間に食い付こうと粘り過ぎて35キロ過ぎから全く走れなくなってしまい
最後の5キロは27分かかってフラフラでゴールしました。
試合が終わった後は食事も食べられないほどのダメージを受けマラソンの恐ろしさを
身をもって味わいましたが、「これで自分もマラソンランナーになれた」との喜びもありました。



敵討ちをねらって返り討ちにあった2回目のマラソン

初マラソンで悔しい思いをしてから1年後、私は再び勝田マラソンのスタートラインに立っていました。
この年はかなり早い時期から今年も勝田を走ると決めていました。
昨年の借りを返してやる、絶対タイムを出してやるとかなり力んで参加したように思います。
調子の方もマラソン2週間前に行なわれた奥武蔵駅伝のメンバーに選ばれ、チームは2位入賞と
自分の力もかなりついてきたと自覚していたので尚更「今年こそ」の思いがありました。
しかし、マラソンの神様は私には微笑んでくれませんでした
85年2月11日は南風が吹き荒れ気温も高く決して良いコンディションではなかったのに
昨年同様のペースで走った結果、30キロで見事に打ち上げ最後は再びjogでゴール・・・
終わってみれば前回よりタイムで34秒・順位で1つ上がっただけ。
マラソンってホントに難しい、そう思いました。


引退試合・排水の陣で挑んだ3度目のマラソン

2度あることは3度あるのか、3度目の正直はおとずれるのか?
86年2月11日、私はまたも勝田マラソンのスタートラインに立っていました。
でも今回は心構えが前回までとはちょっと違っいます
陸上競技部が4月からシンボルクラブとなり、練習環境が優遇される事になるのと引き換えに
実力のない私は3月末で競技部を去る事が決まっていました。
競技部では私の最後の試合に「別府大分に行きたかったら遠征してもいいよ」と言ってくれましたが
最後の試合は失敗したくない、そう思いコースを知っている勝田マラソンを最後の舞台に決めました。
今回は分相応に目標タイムも琵琶湖毎日マラソンの標準記録(当時は2時間35分)に合わせ
スタートは5キロ18分とペースを落として入り、20キロ過ぎからペースを上げる走りに切り替え
2時間34分3秒・42位でゴール。50位以内の「敢闘賞」を頂きました。
実業団最後の日
86年、40キロ付近、ゴールを目指して最後の力走

この時は、「今年も走れなかったら今後はもうマラソンはやめよう
うまく走れたら、今後も自分で練習してマラソンを続けよう。」そう思っていました。
残念だったのは・・・
せっかく琵琶湖毎日マラソンの標準タイムを突破したと思っていたら
翌年の標準タイムは2時間30分に変更となり、琵琶湖を走る事が出来ませんでした!

勝田マラソンの参加成績
84年2月11日 2時間43分35秒 83位
85年2月11日 2時間43分01秒 82位
86年2月11日 2時間34分03秒 42位 敢闘賞獲得