宮入慶之助記念館


宮入通りの碑
 宮入慶之助は、九州帝国大学医学部(現九州大学医学部)衛生学講座の初代教授となりました。(当時39歳) 着任後、久留米川流域に“ジストマ”と呼ばれる恐ろしい風土病が存在することがわかりました。この病気にかかるのは、熱心に田を耕作している勤勉な農民に多く、よく働く人ほど罹患するという、極めて痛ましい状況で、慶之助は、早速この風土病の解明にとりかかりました。
 はじめに、“ジストマ”流行地村落付近の、小さな道路、あぜ道などから、人畜の糞便をくまなく拾い採り、それらを日が暮れると整理し、日本住血吸虫流行地の実態を把握し、濃厚な流行地の感染牛を探し出しました。感染牛から得られる住血吸虫卵がどのような条件で、どのような孵化をするのか?孵化した仔虫はどのように、哺乳動物の体内に侵入して感染が成立していくのか?などを徹底的に調査しました。
 そして、鳥栖の町のある小溝(せぎ、田圃の用水用の小川)が、日本住血吸虫に罹患したことをしめす、”こえまけ”という症状を濃厚に起こす場所であることが分かりました。この小溝から採集した小さな小巻貝が存在すると、日本住血吸虫の感染は成立することを実験で明らかにしました。
 充分な確認実験を行った後、慶之助は、日本住血吸虫の感染過程には、中間宿主が絶対に必要で、それは米粒のような小巻貝以外にないということを断定し発表しました。この発見によって、日本住血吸虫予防への道が開かれました。
 この小巻貝は、後に新種と認められ、「ミヤイリガイ」と命名されました。この発見を契機に、アジアやインド、南米やアフリカでの同種の住血吸虫の中間宿主が発見され、寄生虫の生態も解明され、予防法が確立することになりました。

 九州大学医学部キャンパスの、寄生虫学教室前の通りは、「宮入通り」と命名されており、顕彰碑があります。(碑文は、当ホームページ、宮入慶之助の業績参照。)
 九州大学医学部図書館には、ダーウンの「種の起源」の初版本や、杉田玄白の「解体新書」、緒方洪庵の著作等の貴重な資料が特別展示室に保管・展示されています。 宮入慶之助も世界的に功績のあった人として、その業績を讃え、彼の講義ノート及び、私信が特別展示室に展示されています。講義ノートには、得意だったドイツ語での記述や、いまではほとんど知られていない、和算についての詳細なまとめが、丁寧な字で書き込まれ、当時の学問に対する宮入慶之助の姿勢と学問の状況を偲ばせます。また、図書館には、「宮入文庫」のコーナーがあり、慶之助の寄贈した、当時としては最新の海外文献など約300冊が保管されています。
『寄生虫学の展開と医の文化』

 九州大学と福岡市博物館は、『寄生虫学の展開と医の文化』を開催しました。福岡県教育委員会、福岡市教育委員会の後援で、1999年6月22日〜7月11日に開催されました。
 この展示会は、「地球をおおう寄生虫病、その過去・現在・未来」という副題のもと、九州大学医学部を中心とした研究の流れと、全世界的な寄生虫問題を、真っ正面から取り組んだ企画で、各方面の注目を集めました。会期18日間に、海外を含め、約7500人の来場者がありました。
 ミヤイリガイの発見者である宮入慶之助もこの展示コーナーで紹介されました。

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