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 大いなる助走(BBS) 浅草ロックンロールセンター



ロックバンドかぐらうたの面々です。男が三人。
何かあったらメールでも下さい。

↑ 多趣味なメンバー。休日には、やぶさめも。


元締め(ギター&ボーカル)

 出身
  埼玉県浦和市。

 喜び
  
富士山。

 悲しみ

  好きな女の子のたてぶえをなめようとしたら乾いた麺類が付いていた。


 苦手
  健康マニア。イシヤンが撮影する写真(絶対ブレる)。

ダンチョー(ベース&コーラス)

 出身
  東京都練馬区。

 喜び
  快晴、身軽な服装。

 悲しみ
  角刈り。人殺し。

 苦手
  すぐ怒る人。IT関連(意味が分からない)。

イシヤン(ドラムス&コーラス)

 出身
  山口県防府市。

 喜び
  近所に巨大なカメを飼っている人がいる。

 悲しみ
  席替えをするたびに不良の隣だった。

 苦手
  おなか一杯なのに喉が渇いている状態。MD以降の音楽を聴く手段全般。


同志達(かぐらうたに在籍したメンバー達)

 タケカワ(ベース&コーラス)●結成時メンバー、97年脱退。

 ナカノ(リードギター&コーラス)●結成時メンバー、98年脱退。

 イズハラさん(ベース)●97年加入、97年脱退。

 ハルオ(リードギター&コーラス)●98年加入、99年脱退。







ロックバンドかぐらうたの歩み(前史)
1992年 ●元締め、駒沢大学文学部国文学科入学。早稲田にも明治にも落ち、将来を悲観。ヤケクソで駒沢フォーク村に入村。同日、部室にいた同じ新入生のヤナギと共謀し、フォークデュオ「借金返済研究会」結成。4月中には駒沢『ガソリンアレイ』でライブ活動を始める。人生が狂い出した、春。

●「借金返済研究会」はライブハウスに限らず、学内や隣接する駒沢公園で、ゲリラ的にライブを随時行う。また、その詩に感銘を受けた文学部教授H氏が、「本学借金返済研究会の詩について」なる評論文を学内報に投稿する等、話題を博す。さらに駒沢祭では、「お金」と書かれたヘルメットをかぶり、覆面姿で登場。“その筋”の方々に目を付けられる。中々存在感のある、フォークグループであった。
1993年 ●イシヤン、駒沢大学経済学部商学科入学。早稲田にも明治にも落ち、将来を悲観。ヤケクソで駒沢フォーク村に入村。ここでイシヤンは一級上の元締めと知り合い、いきなり使い走りにされ内心怒る。が、顔では笑う。

●イシヤンは、駒沢フォーク村で「スティッキー・リップス」というバンドのドラマーを長く務める。そこでも使い走りをさせられ、悲しむ。ついに髪を伸ばし授業をサボりだし、果てはタバコを吸う等して、不良になる。「スティッキー・リップス」は、渋谷『ラ・ママ』辺りで結構人気があった。

●ナカノ、駒沢大学仏教学部仏教学科入学。早稲田にも明治にも落ち、将来を悲観。現役入学だが、高校時代に教科書代を花札で使い込み留年。つまり一浪のイシヤンとは同い年である。入学式当日、革ジャンにリーゼントで正門付近を単騎制圧中、駒沢フォーク村の新入生勧誘戦に従事中の元締めに発見される。その圧倒的風貌から、元締めは恐怖を感じる。そこで、共に勧誘活動をしていた駒沢フォーク村村民と語らい、「ジャンケンで負けた奴が、あいつに声をかける」という段取りになる。元締め、ジャンケンに負ける。恐る恐るナカノに声をかけ部室に連行、その場で入村手続きをしてもらう。

●ナカノは「大学にいる間、ジミヘンを全曲カバーする」と宣言、それを実行。駒沢フォーク村時代は、様々なバンドでギターを弾き、着実に人生を狂わせてゆく。いつだかの駒沢フォーク村夏合宿で、元締めと吉田拓郎のコピーバンドを組む。ナカノは、ギターはおろかホーンセクションまで完璧にコピー。元締めを狼狽させる。

●タケカワ、駒沢大学文学部社会学科入学。早稲田にも明治にも落ち、将来を悲観。ヤケクソで駒沢フォーク村に入村。実は元締めの高校の同級生。高校2年生の時、元締めと2人でタバコによる停学処分を食らった仲。高校1年生の頃は、タケカワの成績は学年トップクラスだったが、バンドに目覚めてからは…数年後、将来を悲観する羽目になる。

●タケカワは将来を悲観していた為、「借金返済研究会」にベーシストとして参加。ドラマーに、同じく元締めの高校の同級生で、武蔵大学体育会空手道部所属の空手家=リューゲンを迎え、「借金返済研究会」が「BMレターズ」というロックバンドに進化。「BMレターズ」は、駒沢フォーク村の定例ライブや駒沢祭に毎回出演、そして西荻窪『ターニング』に出始める。

●ヤナギ、退学。
1994年 ●ダンチョー、駒沢大学経済学部経済学科入学。早稲田にも明治にも落ち、将来を悲観。ヤケクソで、駒沢フォーク村のライバル音楽サークル=ニュー・ミュージック・カンパニー(NMC)に入会。都立大泉高校時代、応援団長だったので、即日「ダンチョー」と命名される。かぐらうた結成に至るまで、元締めやイシヤン、ナカノとは面識なし。されど「NMCに異常にベースが上手い奴がいる」と、駒沢フォーク村で常に話題に。何度か、NMCの定例ライブでダンチョーを見る。角刈りだった(オフレコ)。
1995年 ●「BMレターズ」、月に3回程度のライブをこなす。西荻窪『ターニング』のイベントで、川崎『クラブチッタ』に出る。メンバー一同、興奮する。

●元締め、留年。


ロックバンドかぐらうたの歩み(結成〜現在)
1996年 ●「BMレターズ」解散。

●元締め、新バンド結成に奔走。「BMレターズ」のタケカワ、ブラブラしていたナカノ、活動停止中だった「スティッキー・リップス」のイシヤンを誘い、ここにロックバンドかぐらうた結成!イシヤンに関しては、髪を切りスーツを着て就職活動中の所を、元締めが拉致監禁の上、かぐらうた加入を説得。監禁は十数時間に及ぶ。イシヤン、意識を失うたびバケツで水をかけられる。最後は生命の危険を感じ、加入。完全に人生が狂う。1996年中は、ライブに備え、曲作りとリハに明け暮れる。

●この頃、リハは1日8時間以上、それを週に5回ほどやる。もっとやったかな?ほとんど「部活」のノリで、ひたすら練習。つまり、ヒマだった。
1997年 ●初ライブ。下北沢『シェルター』オーディション。昼間のライブ。一発合格!やった!その日の打ち上げで、イシヤンが泣く。余談だが、この日のライブのお客に、現在かぐらうた掲示板で「紫電改」として登場する人物が来場。紫電改は、後に奥さんとなる人と2人で来ていて、この日にカップル成立。めでたい。

●1997年中に下北沢『シェルター』『屋根裏』『クラブ251』『ガレージ』、渋谷『屋根裏』『エッグマン』のレギュラー権を得る。

●タケカワ、脱退。

●イズハラさん、加入。イズハラさんはナカノのバイト先の先輩。そして駒沢大学NMC出身。イズハラさんはギタリストなので、当初ベーシストとして加入する事をためらっていたが、泣き落としで無理矢理ベースをやってもらう。リハ後、イズハラさん宅で鍋を囲むのが恒例だった。ある日、イズハラさんが「俺の後輩に良いベースがいる」と、ダンチョーを紹介してもらう。イズハラさん立会いのもと、駒沢の音楽スタジオ「アン」でダンチョーと初対面。ダンチョーの髪が綺麗で、少し興奮した。ダンチョーを紹介してくれたイズハラさん、ありがとうございました〜!

●イズハラさん、脱退。

●ダンチョー、加入。

●デモテープ『かぐらうたT』発表。

●ナカノ、留年。

●とにかくライブやりまくる。
1998年 ●デモテープ『かぐらうたU』発表。

●ナカノ、脱退。

●ハルオ、加入。ハルオは、ダンチョーのNMCの同期。短い間だったが、ハルオがかぐらうたに送り込んだ新風は大きかった。リードギターのカラミ方、コーラスの入れ方等、アレンジ面で卓越した手腕を発揮するも、突如「チャリンコ屋になりたい」との言葉を残し、行方知れず。元気か、ハルオ。

●この頃、下北沢『シェルター』で「無人島」というバンドと対バン。偶然かぐらうたを見た「無人島」のお客さん=M氏が、かぐらうた顧問として現在に至るまで君臨。いつもお世話になってます!アッザース!

●この頃、対バンは決まってアーチーズ。既にアーチーズは解散しているが、やはりライバル。アーチーズみたいな最高にイカしたバンドが、どうして全国デビュー出来ないのか、今もって不思議。

●とにかくライブやりまくる。
1999年 ●デモテープ『かぐらうたV』発表。

●元締め、駒沢フォーク村の後輩でもあり、この頃よく対バンした「ACID MAN」に、打ち上げのたびに説教する。ほどなく「ACID MAN」が大ブレイク。元締め、大いにびびる。

●ハルオ、脱退。3ピースバンドでやっていこうと、ハラをくくる。渋谷『エッグマン』が3ピース初ライブだった。

●この頃、元締めは駒沢の音楽スタジオ「アン」でバイト。バイト仲間に、後にかぐらうたがバックバンドを務めるユミローズや、メジャーデビュー寸前の「AFTER ME」がいた。みんな駒沢フォーク村出身。また、常連のお客さんには遠藤賢次、村上ポンタ秀一、頭脳警察のトシがいた。皆さん紳士で、「ミュージシャンってかっちょいい!」と、素直に思った…サインもらっとけば良かった!

●とにかくライブやりまくる。
2000年 ●ライブ活動と平行し、各種オーディションにジャンジャン応募。某事務所のオーディションで「ベストバンド賞」を受賞、そのままその事務所に所属。給料は月1万円。だめだこりゃ。

●事務所なる所には、“メチャクチャ楽器が上手いが仕事が無い”という、凄腕スタジオミュージシャンがゴロゴロしている事を知る。気分が、何となくクリスタルになる。

●けなげに、事務所でレッスンを受け続ける。場所は新宿。ボイストレーニングや詩の朗読、バンドレッスンなんてのもあった。同じ事務所に売れないアイドルがいて、レッスンを見られるのが恥ずかしかった。1時間に1本だけ、新宿から駒沢までつながるバスが出ていたのだが、夜、レッスンを終えそれに乗ると、ホッとした。

●CD『かぐらうたマキシ』発表。

●CD『極東悪魔』発表。

●事務所が経営するライブハウスに多く出演するようになる。神楽坂や新宿で夜を明かす日が増える。ある夏の夜、イシヤンが神楽坂でマルボーと思しき方々に囲まれる。慌てた元締めが「もうやめます」と言ったら、マルボーな方々は「分かってんじゃねえか」と、去る。すべてが意味不明だが、助かった。

●某地方FM局の某番組で、かぐらうたヘビーローテーション。ある日、番組のゲストとして呼ばれる。番組のパーソナリティーが元AV女優で、話が最初から最後まで下ネタ。「“最高の人生”って言葉、エッチイ!」等と真顔で言われ、心から困り果てる。

●とにかくライブやりまくる。
2001年 ●態度が悪く、新年早々事務所を追い出される。

●CD『三羽ガラス』発表。

●CD『デモテープス』発表。

●とにかくライブやりまくる。

●この頃が最もライブ本数が多かった時期。京都や横浜のハコにもよく出演した。
2002年 ●CD『電車』発表。

●駒沢フォーク村の後輩シンガー=ユミローズのバックバンドを始める。以後、かぐらうた単体としての活動の他に「ユミローズ&かぐらうた」としてライブ活動を開始。

●ユミローズのマキシシングル『小さな薔薇』に全曲参加。ユミローズの、妥協知らずな楽曲への姿勢に、かぐらうた、びびる。元締め、ヤマハ音楽教室で落ちこぼれ、メソメソ泣いた幼児体験を思い出す。

●とにかくライブやりまくる。
2003年 ●ユミローズのアルバム『春風』に半分ほど参加。様々なスタジオミュージシャンと共演でき、勉強になる。同時に、ああいった方々の演奏力はハンパではない事を痛感。イシヤン、意味も無く「すみません」を連発。ダンチョー、居眠りが多かった。

●この頃には、メンバー全員が就職済。社会人バンドとして、生き残りの道を探る。

●とにかくライブやりまくる。
2004年 ●ユミローズ、メジャーデビュー。BMGビクターからマキシシングル『小さな薔薇』発売。かぐらうたも参加。

●ユミローズのアルバム『道』に半分ほど参加。『道』はNHKの「みんなのうた」で流れる。

●この頃、ユミローズのプロデューサーが、かぐらうたをFMナック5でヘビーローテーションしてくれた。
2005年 ●吉祥寺『曼荼羅』をホームハウスに設定、ここを活動の拠点とする。以後、『曼荼羅』店長のサッキーとは、クサレ縁に。ブッキング等、いつも気を遣って頂く。よくビールをおごってくれる。アッザース!

●ユミローズのバックバンドから離れる。

●CD『RRC』発表。

●江東ロックンロールセンターを立ち上げる。

●この頃から、ライブのペースが落ち始める。
2006年 ●吉祥寺『曼荼羅』でライブを続ける。細々と続ける。
2007年 ●吉祥寺『曼荼羅』でライブを続ける。細々と続ける。

●この頃から、リハのペースすら落ち始める。

●1日15時間以上を会社に拘束されるダンチョー、いい加減アタマに来る。転職を真剣に考え、この年は受験勉強に精を出す。
2008年 ●ダンチョー、大転職。これでメンバー3人とも、だいぶ時間が増えた。「勝ち取った」時間をバンド活動に充て、リハもコンスタントに入れるようになる。ライブも、せめて月に2回は打つべく、反転攻勢開始。ちなみに毎週水曜夜、新宿でリハってま〜す。

●「借金返済研究会」、16年ぶりに1日限定再結成。駒沢フォーク村の先輩の結婚披露宴にて。おめでとうございます!

●江東ロックンロールセンターが、浅草に移転。浅草ロックンロールセンターに改組。
2009年 ●盟友weaksと、共同企画イベント“夜間飛行”を始める。4月5日、西荻窪『ターニング』で第1回を開催。お陰様で大成功に終わる。「40歳目前にして、懲りずにバンドを続ける残党が手を取り合い、どうにか生き残りを期している」なる説があるが、本人らは否定。

●中々ライブが出来ず、多くの人に見切りを付けられる。

●8月29日、西荻窪『ターニング』にて「第2回夜間飛行」開催。お陰様でまたまた大盛況。

●12月20日「第3回夜間飛行」を以ち、かぐらうた活動休止。皮肉にもかぐらうた史上最大級の動員を記録。往生際悪く、ドラムスいしやん+歌ギター元締めにて「頭脳検察」なるユニットを結成。ヤングのハートに斬り込むべくゲリラ的に活動を開始。



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