PADAYAPPA


  




「好きな人ができたら親の事なんか気にすんな」 ・・・ なんてご立派なこと言うわりにゃ、長女が 結婚を渋ると 「何だ、お前結婚したくないのか? ・・・しょうがねえな、じゃあ次女、お前代わりに 嫁に行け!」 などと次女の人権完璧無視のパダヤッパ。

言ってることとやることが全然違う人間はどうも信用が・・・。

「子曰く、言ある者は必ずしも徳あらず」 って言うけど、やはり多くの人は口先上手な人間よりも黙って 行動で示す人間の方により魅力を感じるもの。
故に我々は、過去の出来事を知り地位を投げ捨て 「もう主人ではないのだよ」 と一介の御者の姿で現れた ラージャと、そんな彼の姿に驚き 「私がお仕えするのはあなただけです」 と手を合わせるムトゥの、行動 で示されたその思いやりと誠実さに身震いするほどの感動を味わったのである。

それに比べるとパダヤッパはきれい事を言いすぎ。
パダヤッパの母親は残酷すぎ。
あんなにしょげ返ってるアンバラもといお兄さんをなお執拗に罵るシーンはあまり愉快とはいえません。
そのせいでお兄さんはぶら下がり健康法にしてはちょっと不健康なお姿になっちまったんだから、パダヤ ッパのあのガッツポーズの爽快さもちょいと薄れちまいますな。


 


「アルナーチャラム」 同様ド派手に歌いながら自己紹介するパダヤッパを観ていると、役作りする時の ラジニ ・ サーは、「おーれーはジャイアン!」 と歌う剛田武クンから強烈なインスピレーションを受けて いることがうかがえます。
また、ヘビ塚のシーンは 「レッドスネーク、カモン ! 」 東京コミックショーをヒントにしたものと考えられ ることから、ラジニ ・ サーが相当な親日家 ・ 知日家であることは疑問の余地の無いところであり、 実に嬉しいかぎりです。



さて、パダヤッパ氏の胸に燦然と輝く 「R」 の文字。
これは言うまでも無く 「おれ、ラジニカーント」 という自己主張であり、ラジニ ・ ブランドのロゴマーク でもある。
ただ、赤く 「ゴ」 と書かれたシャツを着ている 「ど根性ガエル」 のゴリ ライモと同レベルのこのファッションセンスをはたして褒めるべきなのか貶すべきなのか、私には判断がつきかねま すがね ・・・。

ともあれ、酔狂にもインドへ行ってみようなどと考えている貴方、ラジニのタレントショップに行ってみれば無数の ラジニ ・ キャラクターグッズとともにこの白いジャケットが販売されている光景を目撃できるだろう。
だが、パダヤッパを観た日本人の9割がこの 「R」 の文字を 「ラジニのR」 では無く 「ラムヤのR」 と解釈し てしまったのはラジニにとって全く予想外の事だった。
(ちなみに残りの1割は 「ラグヴァランのR」 と勘違いした、どうしようもない連中である。)



この映画の主人公 ・・・ そう、まさしく主人公のニーランバリを演じたラムヤ(ランミャーでもミャンマー でもいいけど) ・ クリシュナンが放つ情念、執念、狂気は、ネズミの運動場 ・ シネパトスの硬い座席による お尻の痛さをどこかへ消し飛ばしてしまう圧倒的演技で目をそらすことなどできない。

怒れるニーランバリ ・・・ 彼女は2つの 「怒り」 を見せてくれる。
物語前半、まだパダヤッパを愛しているときの激情に駆られた真っ赤に燃え盛るような怒り。
そして、後半の漆黒の憎悪に満ち満ちた怒り。
「怒り」 は 「ナヴァ ・ ラサ」 ・・・ 即ち9つの情感の構成要素の1つであるが、ラムヤは 「怒り」 は決 して1つに括れるようなものではなく、「ナヴァ ・ ラサ」 もまた、無限の広がりを持つ事を我々に示している。


インドの蛇は哺乳類


勿論この 「パダヤッパ」 はラジニ ・ サーの映画である。
ラジニファンを喜ばせる決めゼリフ、決めポーズ、無茶なアクションなど彼の見せ場はむしろ前作 「アルナーチャラム」 より 豊富で、大いに楽しめる。
また、打ち続く不幸に涙する妹にご飯を食べさせつつ、本当は自分が励ましてあげなくてはならないのに、 こらえきれず一緒に泣き出してしまうパダヤッパの姿には、今までのラジニ ・ ヒーローとは一味違う素晴らしい魅力 を感じる。

だが、これだけの見せ場をもってしてもなお、パダヤッパ氏がストーリー上極めて受動的な存在である感は否め ないのだ。
そもそも、まるで天井裏に風車の矢七がいることも知らずに悪事の数々を自慢げに披露してしまう悪代官み たいに叔父さんが聞かれてもいない御影石のことをペラペラしゃべっちまうまで、パダヤッパは自分が 散々掘り返してるその土地にお宝が眠っていることなど全然気がつかないんだから ・・・。
おそらく彼は悪者の親切な情報開示がなけりゃ、くる日もくる日もフォアグラ農家がガチョウに餌やるみた いに妹の口に無理やりカレーをねじこむだけの日々を過ごすに違いない。

そんなパダヤッパをよそに、物語を引っ張り常に仕掛けていくのはニーランバリ嬢なのである。



その構図が端的に現れているのが、あの素晴らしいインパクトをもったダンスシーン 「Minsara poovea」 である。
愛しいサーティコムに届けと自分の想いを歌うパダヤッパと、服従を求め、彼を自分の愛にひざまずかせよ うと歌うニーランバリ。
壮麗だが激しい歌の戦いは、やがてニーランバリの歌を無視しきれなくなり、跳ね返すことができなく なったパダヤッパの歌の崩壊により勝敗は決する。
彼はもはや自分の愛する人に甘美な歌を歌うことも忘れ、、ニーランバリのペースに完全に巻き込まれ、 主導権を奪われ、そして彼女を罵る以外に術が無くなるのである。

このように強力無比なスーパースターをも圧倒する 「主人公」 として物語の最後の最後まで戦い続け、敗北を断固として 拒否し、なお高らかに宣戦を布告して自分が 「ニーランバリ」 であることを貫き通す彼女に私は深い畏敬の念を禁じえな い (連戦連敗の挙句、自ら爆弾を仕掛けているところをフォーカスされてしまう情けないマーク ・ アント ニーのとっつぁんとは大違いだね)。



さて、ここでもう少し 「Minsara poovea」 について考察してみよう。
賢明なるラジニファン諸氏はすでにお気付きのことだろうが、このダンスシーンは 「北斗の拳」 における トキとラオウの死闘に大きく影響されている。

すでにラオウによって秘孔を突かれ闘うことのできなくなった南斗水鳥拳のレイは至近距離で微動だにせ ず対峙するトキとラオウを見て驚愕する。
「み・・・みえる、おれにはみえる! トキのすさまじい最後の "気" の戦いが!! 今ふたりの間には 無数の突きが交錯している!!」

達人であるが故、常人には見えない 「無数の突き」 をはっきりと目の当たりにするレイ ・・・ そう、 「Minsara poovea」 の歌の間奏部分に挿入されたパダヤッパとニーランバリの2つのダンスシーンこそが、 広間に集まった両家の人々には見えないが劇場の我々には見える 「 "気" の戦い」 であって 「無数の突き」 なのであり、このダンスシーンが 「食うか食われるか」 の激闘であることを如実に物語っている部分なの である。

最初に展開されるサーカス小屋の中での戦いは互角である。
激しく攻め立てるニーランバリを巧みに受け流すパダヤッパの戦法は、ラオウの剛拳に逆らわないトキの 拳 ・・・ まさに 「激流には静水」 といった感がある。
だがベッドルームでの戦いでは事態は一変する。
強引に身体を重ねてくるニーランバリに対して、パダヤッパは全く抵抗できないでいるのだ。
ベッドに押し倒されるパダヤッパの表情はまるで部下のOLに 「奥さんがいてもいいんです、あたし課長のこ とが好きなんです!」 と抱きつかれて 「こ、困るけど嬉しいよ〜、どうしよ〜」 ってな中間管理職オヤジみ たいで、情けないにもほどがある。

こうしてニーランバリに秘孔を突かれてしまったパダヤッパ。
あの意味不明な 「たけたたけたけたけた」 は言わば爆発寸前の悲鳴なのであり、最後に 「ひでぶっ」 と言わ なかっただけでもましと言うべきなのである。



おじゃる丸を一途に想い、ヘイアンチョウから月光町まで追いかけてきたり、おじゃる丸の敵・子鬼めらと 手を結ぶなど様々な手段を講じて彼を振り向かせようとするオカメ姫。

ニーランバリもまたオカメ姫のようにあの手この手でアタックしてくる。
ある時は罪も無い村娘達を動員して人間バリケードを作り、ある時は運動不足を解消させるため使用人を全 力疾走させたうえ飲めば子宮が痛んでしまう薬を飲ませてゲロゲロと吐かせようとし、またある時は臭いを 嗅ぐ。


嗅ぐなよ


・・・ 何だかトルエンの吸引やってるような風体のニラ様ですが、こんな妙なことしてパダヤッパのハート をゲットできるとマジで考えてんだから驚きだ。

あたしにも小学校にはいったばかりの時、同じクラスの山口さんて女の子の筆箱隠したり、髪引っ張った り、後ろから突っついたりと色々アタックしたけどハートをゲットどころか先生に見つかって張り倒された だけで終わってしまった悲しい思い出があるから、彼女の行為の無意味さがよくわかるんだなあ ・・・ もっ と素直にならなきゃ。

・・・ で、そんな不器用な彼女の 「愛情」 はやがて 「愛憎」 に姿を変え、最終的にゃ 「憎悪」 になるんです な。
「可愛さあまって憎さ百倍」 ・・・ ニーランバリはパダヤッパを愛するがゆえに彼を憎悪するのである。

娘と喋っているもんだと思い込んでるパダヤッパが放った電話越しのキスに反射的に顔をそむけるニーランバ リ。
そむけたまま受話器をガチャリと置く彼女の表情にはパダヤッパに対する嫌悪を感じこそすれ好意的な感情 など微塵も伺うことはできない。



チャンドルをダシに使った嫌がらせなどは、まさにただの嫌がらせに過ぎず、それは最早愛する男を我が物に するための行為ではなくなっている。

さらにあの銃撃シーンである。
ビデオ鑑賞を趣味とする彼女はおそらく射撃の経験などないはずなのに、反動の大きなフルオートでぶっ放し たその銃弾はパダヤッパに向け極めて正確に撃ちこまれている。
ニーランバリとパダヤッパの立ち位置の延長上にある階段に弾が命中している点が彼女の明確な殺意を物語っ ているのだ。
弾が彼に命中しなかったのは 「動かない」 と言ってたパダヤッパが牛にむかって槍を投げて体が左に泳いだ ためであり、そのきっかけをつくってくれた牛こそパダヤッパの命の恩人恩牛、従って このシーンは 「パダヤッパがニーランバリを助けた」 のではなく、「牛がパダヤッパを助けた」 と解釈する のが正解なのである。

だが、引きこもりを克服したニーランバリが久しぶりにパダヤッパと対面するシーンでは、彼女の眼差しに はっきりと好意の光がやどっている ・・・ これはどういうことか?



ここで我々は再び 「北斗の拳」 に立ち戻らなければならない。
南斗六聖拳の1人、妖星を持つ男 ・ ユダは義星を持つ男 ・ レイの南斗水鳥拳の舞を心から美しいと感じてい た。
それはユダにとって生まれて初めて自分より美しいと思わざるを得ない存在であり、それ故断じて許すことが できなかったのである。

そう、「美しい」 が鍵なのだ。

全てにおいて最高のものを求める、まるでこだわりのラーメン屋のオヤジみたいな女 ・ ニーランバリにとって 結婚してしまったパダヤッパなぞ賞味期限の切れた食材みたいなものでそれ自体は興味の対象とはなり得ない 。
だが、長い年月を経ても全く変わることの無い 「優美な仕草」、彼の自慢する 「スタイル」 だけは未だニーラ ンバリを魅了して止まないのだ。

だから彼女は腰掛けるパダヤッパの仕草にうっとりしても、キスなどという性的行為には嫌悪の念を剥き出し にするのである。
そしてユダが自分よりも美しいものの抹殺を誓うように、彼女は自分の所有物とはならない 「最高の美」 は自分 に対する屈辱ととらえ、復讐を誓うのである。



結局ユダは戦いのさなかレイの動きに一瞬魂を奪われ、敗れ去る。
ニーランバリもまたパダヤッパの思わぬ行動に強いショックをうけた。
本当なら自動小銃を乱射した後には必ず 「快感 ・・・」 と言うべきなのにすっかり忘れてしまっている点から も彼女の戸惑いが伺える。
しかし、その後の彼女の行動はマサラムービー史に永久に書きとどめられるべきものであった。
彼女は自らに向けて銃を発射したのである!!

実際のところ、日本で公開されたラジニ主演映画においてラジニは悪のボスキャラを殺したことが無い (ダラパティはつまんなかったから覚えてないけど)。
殺そうとはするが、途中でやめるか人に制止されるなどして結局命だけは助けている(ただし、よしゃあいい のに悪あがきしたせいで脳天ぶちぬかれた馬鹿がいる ・・・ マーク ・ アントニーよ、あんたはとことん美味し い人だよ・・・)。

だからニーランバリも何も無かったような顔してその場から立ち去ればそれで済んだはずなのである。
なのに彼女は自分を蜂の巣にした。
しかも 「ぼろぼろ泣きながら哀れっぽく許しをこう」 というマサラのよくやるパターンで我々を油断させ、 あるいは失望させておきながら、突然笑い出して 「んなこと言うわきゃねえだろが!!」 とブチかまして くれたのである!
素晴らしい! ニーランバリよ、あんたゾクゾクするほどいかしてるぜ!!
「最後はせめてその胸のなかで ・・・」 とレイに抱きついて息を引き取ったユダにはレイのファンから 「きしょいんじゃ、ボケ!!」 と罵声が浴びせられたが、彼女の最後の姿はじつに賞賛に値するものであっ たと言えよう。

かくしてニーランバリは散った。
彼女の人生 ・・・ それはベルばらの主題歌風に言うならば 「バラは気高く咲いて、バラは美しく散る」 だっ た。
そもそもニーランバリのような人間にゃ結婚なぞ似合うはずがないのだ。

「ちょっと、ニーランバリさん!!」
「なんですか、お母様」
「今日という今日は言わせてもらいますよ! あなたどうして毎日毎日こんな塩っ辛いお味噌汁ばかりだ すのよ!! 私が医者に塩分ひかえるように言われてるの知ってるでしょ!? あんた私を殺す気なの!?」
「あ〜ら、あたしお母様が長生きしたがってたなんてちっとも知りませんでしたわ」
「キ〜! この鬼嫁め、くやしい〜!!」

・・・ 嫁姑にはさまれてオロオロするばかりのパダヤッパ ・・・ やはり結婚しなくて正解でしたね ・・・。


そりゃ確かに魔女っ子メグちゃんは 「2つの胸のふくらみはなんでも出来る証拠なの」 と豪語していましたが、 サングラスを引っ掛ける場所にしてるニーランバリ様は残念ながら使い方を完全に間違えていると言わざるを 得ないでしょう。



・・・足上げ勝負は、スピード ・ 角度共にニーランバリの勝ち。

 


さて、ここで二者択一の問題です。
麗しくも馨しいサウンダリヤー演ずる女性の名前は何というのでしょうか??

1、ワスンダラ
2、バスンダラ

答 ・・・ シネパトで買ったパンフによると、どちらも正解のようで ・・・。



さすがのサウンダリヤーさんも2大怪獣の死闘の前には科学特捜隊のように些か影が薄くなってるとみる 向きもありますが、いやいや、どうしてどうして、「Suthi Suthi」 でみせた可憐な花のような魅力はサウ ンダリヤーのファンなら手を合わせて拝みたくなるほどの美しさ。
お腹のプニプニ皮下脂肪萌え〜。



たしかにバスンダラは娘に旧日本軍顔負けのビンタを浴びせる以外は自分の意思をはっきり示すこともなく、 ストーリーに重大な影響を与える行動にでることもなく、ただパダヤッパとニーランバリがドラマを展開し ていくための触媒としての役割を果たすにすぎないキャラクターではある。

「ばらのさだめに生まれた」 ニーランバリに対して 「草むらに名も知れず咲いている花」 バスンダラ。
あまり活躍できそうにもない、この 「ただ風を受けながら、そよいでいればいい」 役ではあるが、サウンダリ ヤーはまたやってくれた!
彼女は彼女の殆ど唯一の見せ場である 「Suthi Suthi」 においてそのパフォーマンスを最大限に発揮し、観客に 強い印象を与えることに完全に成功しているのである。

地味なバスンダラが実はずいぶんとセクシーな女性であることを気付かせ、ドキドキするような驚きを与えてくれる このダンスシーンにおいてサウンダリヤーは様々な表情をみせている。
黄色系の衣装のサウンダリヤーはポッチャリ ・ コロコロした感じで少女チックな可愛らしさを放っている。
だが、白のドレスに身を包むとそれは一変、グッと色っぽく、実に艶っぽい大人の女の魅力が溢れ出してくるのだ。
即ち、この多面性こそがサウンダリヤーの魅力のひとつなのであり、それによってバスンダラという 名のモノクロームの写真は、俄然輝くほど鮮やかなカラー写真として我々の前に現れるのである。

「触媒」 のバスンダラは当然ストーリー的に最前列に出てくる事のできない役であるが、たったひとつのダンスシーン でここまで存在感を感じさせてしまうサウンダリヤー ・・・ やはり彼女は素晴らしい女優と評せよう。

・・・ だが、「Minsara Poovea」 での行動をみているとバスンダラって本当はかなりヤな人のような 気が ・・・

 
飲み物を給仕するふりをして思いっきり踊りの邪魔をする 「とんだくわせもの」




シネパトのそばにある 「アラジン」 でこの小道具売ってないかな?


♪「縄で縛るなんて、ちょっといや〜ん
これは間違いなくアラジンで売ってるぞ!!


「見ないほうがいいもう1つの顔」 とは、「俺はエスパーだ」 ということらしい・・・




さて、パダヤッパの見所の1つが、「マサラ美女大量出演」 であります。

 

関口宏みたいな白髪を生やしても微動だにしない、いや寧ろ冴え渡るラムヤの美貌に驚嘆。
はにかむ笑顔が萌え、背中をバラでなぞられる時小刻みに体をくねらせる仕草に萌え、ひたすら萌えさせ るサウンダリヤーに溜息。
パダヤッパの長女役のプリータも美しい。
そしてもう1人、見逃す事の出来ない美女がいる!!


体操するパダヤッパン小学校の先生、激萌え〜!!



1999年作品 (タミル語)

出演 :  Rajnikanth,  Soundarya,  Ramya Krishnan,  Sivaji Ganesan,  他

ディレクター : K. S. Ravikumar    音楽 : A. R. Rehman

DVD : PYRAMID AV INTERNATIONAL PTE LTD,  BROADWAY,  AYNGARAN INTERNATIONAL

VCD : SATHYA PRODUCTIONS

CD : PYRAMID AV INTERNATIONAL PTE LTD








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