魂成長(霊性進化)






「魂(ないし霊)とはすべての人間が身にまとっている神の衣です。魂とは神が子等に授けた光です。魂とは各自がこの宇宙における機能を果たすことを可能ならしめる神の息吹です。魂とは生命力の火花です。存在の源泉です。それがあなたを宇宙の大霊と結びつけ、すべての生命現象を経綸する無限なる存在の一部たらしめております。魂はあなたが永遠にまとい続ける不滅の衣です。あなたがその魂であると言ってもよろしい。なんとなれば魂がすなわちあなたという存在そのものであり、反省し、考え、決断し、判断し、熟考し、愛するのはその魂です。ありとあらゆる側面をもっております」

『シルバーバーチの霊訓』(二)P216〜217









(1)「大宇宙の絶対神(霊的生命の永遠の父母)」

全生命の本質である霊的宇宙も、私達が今生活している物的宇宙も、厳密に言えばバイブレーションが異なるだけの霊的世界という無限の大宇宙が存在するのは【完全なる永遠の愛と叡智】のお陰です。究極のエネルギー(原因)あっての存在(結果)となります。

その偉大なエネルギーの供給源は、現存する全存在の創造主であり、全生命の父母であり、全人間的生命の永遠の霊親であり、未来永劫の目標である【大霊《Great White Spirit/グレイト・ホワイト・スピリット》(大いなる白色の霊(光り輝く存在)です。私達一人ひとりの内部に存在すると同時に外部にも存在し、あらゆる生命とその向上進化の生命現象(自然現象)にも宿っている唯一無色無形の実在にして【完全なる究極の神性】です。

《(*)人間が科学的に認識できる粗雑な物的原子の世界、いかなる科学的技術をもってしても分析できる性質のものではない精細極微をきわめた霊的原子の世界、ありとあらゆる次元(形体ないし状態)の全存在に宿ると同時にそれらを超越した背後の実在であり、全生命と自然現象の目的を支配している究極にして永遠の目的という言い方もできると思います(*)》

(2)「神との絆(永遠の遺産)」

私達はその霊的生命力(肉体の中で今意識している自分)の親である大霊すなわち神から永遠の絆として【永遠の命ないし個性】の他にも無限の可能性を秘めている遺産を賦与されているわけですが、それは【神性(人間は神の火花/ミニチュアの神)】と、本質は純粋にして霊的なものである【愛(ラブ)】です。

また【叡智】も霊的知識が増えるとともに、霊的理解力が高まるとともに、霊性が向上し、神性開発が促進されるとともに高まり深まってくるようで、自然と視野が広がると同時に狭くなり、つまり深まり、したがって物事の考え方、今やるべきことの判断力(賢明さ)が鋭くなり、地上生活の単純さや深さが輝きを増してくるようです。同時に内部ないし魂から真実の気高さや威厳が湧きでるようになり、生命力あふれる霊的雰囲気(イルミネーション)を醸し出すようになるようです。それは地上的身分や権力や財産から生じている儚(はかな)く脆(もろ)い、一時の幻影的立派さとは縁遠いもので、地上では数歩あるいは十歩譲って褒められるような人はほんの一握りのようです。大半の地上人は実に殺風景(魅力無し)のようです。

(3)「魂成長は“神の子”としての成長」

地球70億の人間の魂発達段階はすべて違いますから“自分なり”のという補足が適切かもしれませんが、地上生活の目的は光輝く霊界においての素晴らしい霊的向上生活に“適応”できる“資格”を身につけることです。それは永劫の目標、永遠に到達不可能な魂自然の憧憬である大霊の、神の子として相応しい内容を必要最低限身につけることとも言えます。

地上人生の目的は【魂成長(神性開発)】です。それを言い換えれば【霊的成長(霊性進化)】となります。今日大切なことは霊的視野ないし価値観であり、今重要なことは霊性向上です。

「地上生活の目的はきわめて単純なことです。死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を強固にするのです。身支度を整えるのです。開発するのです。となれば、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることがあなたの霊性の成長の糧となるのです」

『シルバーバーチの霊訓』(六)P205〜206


上の抜粋だけなら「すべての出来事が私達の霊的成長の糧となる」ということになりますが、自動的にそうなるのではなく“自分次第”でそうすることができるということになります。そうした意味のことはシルバーバーチも別なところで度々述べています。仮にもし自動的に霊的成長できるのであれば、すべての人間が善霊や高級霊になっているものと思われますし、地球はこうまでも寒々とした悲しい世界ではなかったと思われます。またシルバーバーチは地球人類は害毒あって実り望めない“無用な取り越し苦労”に振り回されている人があまりにも多すぎるということも述べています。

因みにシルバーバーチは魂が成長すればするほど、霊性が進化すればするほど神性表現となる【個性的存在】が強くなり、本能表現となる【個人的存在(利己性)】が薄れていくとも語っています。

(4)「魂成長の決定要素(キーワード)は神の摂理
――大宇宙の全人間的生命を支配する永遠不変の善悪基準」


魂成長(霊性進化)の基準になるのは無窮の過去から現在に至るまで大宇宙を完全支配し、そしてこれからも未来永劫に亘って精細狂わず完璧統括し続ける【永遠不変の神の摂理(大自然法則)】となり、それがそのまま墓場の向こうまで付きまとう【永続的な善悪基準】となります。限られた地上的視野だけでなく“永遠の視野(時間)”でもって眺めれば正確無比に機能しているようです。

「(大霊の)摂理に逆らった生き方をする人は、一個の人間であろうと大勢の集団であろうと、民族全体であろうと国家全体であろうと、いつかはその代償を支払わねばなりません。その摂理の働きが完ぺきであることは常々申し上げている通りです。その働きが人間の目には見えないことがあるかもしれません。しかし、原因と結果は必ず連鎖して働きます。摂理がそのようになっているのです」

『シルバーバーチは語る』P93


「私に申し上げられることは、あくまで摂理は摂理であるということが摂理である、ということだけです。摂理は摂理であるがゆえに、その摂理どおりに働くしかありません。もしも私が原因と結果の関係に干渉することができるとしたら、これは大変なことになります」

『シルバーバーチの霊訓』(八)P53


神の摂理の無限の構成要素の一つで人間と密接な関係にあり、重要な役割をしている【原因と結果の因果律】という自動的摂理があり、それは「良いもの悪いもの自分が蒔いたタネは寸分の狂いなくすべて自分が刈り取る」ということになりますが、その認識は極めて重要なことで、シルバーバーチは次のように述べています。

「宇宙は、変えようにも変えられない絶対的な自然法則によって支配されております。その中でも原因と結果の法則(因果律)が基本となっております。つまり結果にはそれ相当の原因があり、原因のない結果というものは有り得ない――言いかえれば、原因はそれに先立つ原因の結果であり、その結果が原因となって新たな結果を生んでいくということです。

このように、各自の運命は自然法則(*一部に自由意志と自己責任がある)によって決められていくのです。その法則の働きは当人の【魂に刻み込まれた霊的成長度】に反応します。あなたは今あるがままのあなたです。こうありたいと装ってみてもダメです。地上生活中に行ったことが、すべて、真の自我に刻み込まれています。その行為の価値が魂を豊かにもし、貧しくもします。あなたみずから行ったことが、そういう結果を生んでいくのです。

死によって物的身体から離れると、魂はそれまでに到達した進化の程度をスタートラインとして、新しい生活に入ります。それより高くもなっていませんし、それより低くもなっていません。自然の摂理があらゆる要素を認知しているからです。公正が行きわたるように摂理が自動的に働くのです。罰せられるのも報われるのも、すべてあなたの行為一つ一つが生み出す結果の表れです。自分の行為によって成長する場合と、成長を阻害される場合とがあるということです。以上がわたしたちの説く教えの核心です」

『霊的新時代の到来』P36〜37
《(*)は管理人です》


「因果律は、必ずしも地上生活中に成就されるとは限りません。が、必ず成就されます。そういうように宿命づけられているからです。原因と結果とを切り離すことはできません。ただ、原因の性質によって、それが結果を生み出すまでの時間的要素に違いがあります。ですから、行為によっては地上生活中に反応が出る場合もあり、出ない場合もあります。が、霊的な余波は機械的に影響を及ぼしています。たとえば他人を傷つけた場合、その行為は機械的に行為者の魂に刻み込まれていますから、その罪の深さに応じて【行為者自身の魂も傷ついて霊性が弱まっています】。その結果が、地上生活中に表面化するか否かはわかりません。そのときの環境条件によって違ってきます。当人の永遠の霊的生命を規準にして配剤されるものです」

『シルバーバーチのQ&A』P210


その摂理機能は機械的にして瞬間的に【霊性向上(精神的生育)】【霊性墜落(精神的枯渇)】あるいは停滞的作用として私達の霊性に働いているようです。シルバーバーチは地上の何様であろうと、いかなる身分・功績・名声のものであろうと、絶対公正にして厳格正義の神の摂理――原因と結果の因果律から逃れられるもの、救われないものは誰一人いない、ということを述べています。

「大霊の摂理はあくまでも魂の進化を大前提として機能します。地上的な尺度ではなく【永遠の叡智】を尺度として因果律が働くわけです」

『シルバーバーチは語る』P191


「善とは神の摂理に適ったものであり、悪とは神の摂理から逸脱したものです。正しい行為とは神の摂理に適ったことをすることであり、誤った行為とは神の摂理を侵害することです」

『霊媒の書(聖ルイ)』P241


「霊にとっての価値基準はただ一つ――魂にどういう影響を及ぼすかということです。魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪です」

『シルバーバーチの霊訓』P198


要約してみると【神の摂理との協調は霊的善で、魂成長の肥し】となり【神の摂理との不協調は霊的悪で、魂枯渇の肥し】となりますが、地上的善悪観(個人レベルから国家レベルの善悪基準・人間的道徳ないし秩序)の遵守ないし忠誠というものは、必ずしも魂成長の糧にならなければ、【死後の幸福(より大きな自由・可能性)】を高めるための材料にはならないし、しばしば弊害要素になると思います。

「罪というものはそれが結果に及ぼす影響の度合いに応じて重くもなり軽くもなります。(略)身体で犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、どれも罪は罪です」

『シルバーバーチの霊訓』(五)P196〜197


高級霊インペレーターも「霊的邪悪、精神的邪悪、物的邪悪」という三次元の罪悪――特に深刻な霊的罪悪の愚かさと深刻さを極めて強調して述べています。またシルバーバーチは地上では善と呼ばれているものが霊的観点からすれば悪(極めて不道徳)≠ナ、地上では悪と呼ばれているものが霊的観点かれすれば善(立派な行為)≠ナあることが実に沢山ある、という内容のことを度々述べていますが、同様のことは三大高級指導霊インペレーターや聖ルイはもとより、その他の下級クラスの高級霊や普通的善霊なども実に強調しています。

(5)「大切なことは良心の声」

私達は日常生活で何を善悪基準にすればいいのか? それはこの後紹介する霊性の一部であり、自分にとっての正しいことと間違っていることとを見分けるための【魂バランス感覚】であり、現段階から次の段階(一つ上の霊的進歩の道)に進むための霊性進化の羅針盤である【良心(道義心)】となります。付け加えると、霊的真理を手にしているものは“より高い霊的理解(価値観・視野)”に支配されていることが理想のようです。それは霊的叡智に通じるより高い良心の声が聞えるようになるための大切な要素のようです。

「神は人間各自にけっして誤ることのない判断の指標、すなわち道義心というものを与えています。その高さはそれまでに到達した【成長の度合い(霊性進化レベル)】によって定まります。あなた方が地上生活のいかなる段階にあろうと、いかなる事態に遭遇しようと、それがいかに複雑なものであろうと、各自の取るべき手段を判断する力――“それが自分にとって”正しいか間違っているかを見分ける力は例外なく具わっております。(中略)

個々の人間が自分の動機に従って決断すればよいのです。すべての言いわけ、すべての恐れや卑怯な考えを棄てて【自分一人きりになり】きり、それまでの自分の霊的進化によって培われた良心の声に耳を傾ければよいのです。その声はけっして誤ることはありません。けっしてよろめくこともありません。瞬間的に解答を出します。

(人間的煩悩によって)その声がかき消されることはあります。押し殺されることはあります。無視されることはあります。うまい理屈や弁解や言いわけでごまかされることもあります。しかし私は断言します。良心はいつも正しい決断を下しています。それは魂に宿る神の声であり、あなたの絶対に誤ることのない判断基準です」

『シルバーバーチの霊訓』(五)P218〜219
《(*)は管理人です》


私の場合であれば“良心の声(道義心の指示)に従えば良い”という実に単純シンプルな霊的教訓が極めて難しく感じています。その気持ちがあっても、結果のことなど関係なく絶対的に従いたいと思っていても実際問題として“良心の声を正しく聞き取れているだろうか”、“神の御心を正しく読み取れているのだろうか”と不安になったり、悩んでしまったりすることがあります。とにかく迷ったら以下のシルバーバーチの言葉が参考になると思います。

人間には正しいこと間違ったことを見分ける道義的判断力と、それを選択する自由意思とが与えられております。つまるところ【動機(意図、魂胆)の問題】です。何のために?――これをみずからの良心に問いかけるのです。一度ならず何度でも問いかけてみるのです。その結果として選択したもの、それが何より大切です。他のことはどうでもよろしい

『シルバーバーチの霊訓』(四)P50


忘れてならないのは【手段】です。シルバーバーチも動機の純粋性に重点をおいて繰り返し繰り返し強調して述べています。その魂の発達段階なりに動機が正しければ“霊的な意味では傷つくことはない”という内容のことを述べていますが、【手段の正しさ】も何度か述べています。たとえば「誰でも良いから幸せそうな人を殺しに行く!」という悪感情に支配された人間がいます。それを真摯な動機から止めさせることは立派ですが、殺害という手段は間違っています。

(6)「大切なことは霊性発揮」

 (◆)同胞への“霊性発揮”(◆)

すべての人間等しく大切となるのが“神性”と“霊的愛”の発揮努力ということになりますが、そのための絶対条件になるのが自分なりの最高の【霊優位(霊的意識中心)】です。それを一般的にも馴染みやすい言葉で表現すれば【純粋性(霊性の根幹)】ですが、初歩的指標にして最大難問となるのが純粋性の一部であり、基盤であり、表面化されるものである“無欲・無償性”を高めることです。

神性と霊的愛の二つを一つにして表現すると【霊性】となり、私達は少しでも多く、そしてより高く“霊性(純粋性)を発揮する”ことで自分の魂を一年木の葉一枚のごとく成長させられるようです。

 《神性が主人で、愛は最高の道具》

地上人だけでなく霊界の人々であってさえも神性を明確に理解することはできないと思われます。地球圏高級神界に属するような超高級霊でないと理解できるような性質のものではないと思われます。地上の一握りの霊性の高い人々が“おぼろげながらも描写している”というもので、私達は自己の経験・教養から“何となく推測する”そして“それを模範とする”ことくらいしかできません。愛についても同じようなことが当てはまるものと思いますが、私の理解観で表現すれば【神性が主人で、愛は最高の道具】ということになります。

私達は力量の限界ゆえに仕方がないとはいえ、霊界の人々からしてみれば大半の地上人の愛観(理解の仕方・受け止め方)は褒められていないようですし、したがって愛という表現手段は――そのように表現することは大切ですし、そのように表現するしかないわけですが――少々厄介な要素があり、はっきり分からないと認識できる神性という言葉の方が効率よく純粋的(謙虚的)な探究姿勢を向けられるのではないかとも思っています。

「地上では愛(ラブ)という言葉が誤って用いられております。愛とはいえないものまで、愛だ、愛だと、さかんに用いる人がいます。ある種の本能の満足でしかないものまで、愛だと錯覚している人もいます。が、私が理解しているかぎりで言えば、愛とは、魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造者である神とのつながりを悟った時に自然に湧(わき)き出てくる欲求のことです」

『スピリチュアル・メッセージ』P225


普通に“愛”と書きたいところを“霊的愛”と書いている動機は上のシルバーバーチの言葉が参考です。その他適当と思われる言葉を用いれば「利他愛」「滅私愛」「無償愛」等々になりますが、本来美しいものである真実の愛には多かれ少なかれ【犠牲的要素】というものが含まれているようです。

「我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。

いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面があるものです。

家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されていることがよくあります。が、愛の最高の表現は己を思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。その段階に至った時は神の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却(めっきゃく)しているからです」

『シルバーバーチの霊訓』(一)P145〜146


上の抜粋は“無限の可能性”を秘めている愛にも“無限のランク”があるという参考になるものですが、その人の魂の欲求――自然と湧き上がる純朴な愛や、高度な霊優位から生まれた崇高な愛などの霊性の絡んだ生育的(発展的)な愛だけでなく、同じ愛という名の意味では同種ではあっても異質であり、しばしば枯渇的(破滅的)要素を含んでしまっている愛があり、それは肉体的属性(動物的資質)に分類される【本能愛】となります。特にその本能愛と霊的無知とが結合すると「霊的・精神的・肉体的」の三つの次元で、不必要な後悔(苦しみ・悲しみ)の結果を招いてしまうことがよくあるようです。

たとえばその人なりに健康管理を気遣っているつもりでも結果的には子供達の“今の喜び(子供の顔色)”だけを重視してしまって、好きな食べものや飲みものを必要以上に与えてしまっているということが多くの家庭で行なわれていますが、大半の両親はそのことが将来生活習慣病などの原因になってしまう可能性が大きくあることを、何かしらの体験や情報で何度となく知らされているはです。すでに説明しているように原因と結果の作用は母ないし両親の動機(善意)はお構いなしに自動的・機械的に働きます。話の流れを踏まえて決めつけてしまえば損するのは子供です。ですが精神的なことはもっと厄介です。霊的なことはさらに深刻です。霊性は説明するまでもなく愛は、より高い知識や叡智(霊性の一部)から創りだされる高く深い精神的視野に支配されていることが理想のようです。

とにかく大切なことは“霊性発揮”であり、私達にとっての実用的な表現をすれば“利他的努力”となります。

矛盾した書き方になってしまいますが、自己の霊的力量などは前進的(内省的)には自覚しながらも後退的(悲観的)には一切気にせず。無理はせずしかし妥協もせず。“主役は内面的活動”――外面的活動つまり行動的意味での何かできた出来ないの結果論も一切気にせず。霊的修行として焦らず、焦らず、そして焦らず、物的条件なりの最善を尽くして自分を同胞に役立てること。そのような姿勢でいることが大切なことになります。簡単に言えば――実に難しく厳しいことですが――【神を意識した内省的生活に徹する】ことで、自分なりの“霊性向上(神の子としての内容向上)に専念していれば良いことになります。それは小惑星地球の平和(地域・国家の霊的同胞家族)のために先ず自分を改善するという基本的利他的努力になると同時に純粋性に動かされた最高の利他的表現生活になると思われます。

 (◆)困難や艱難辛苦での霊性発揮
  ――苦しみ悲しみの最中での霊的真理修得(◆)


煩わしい日常生活での細かな悩みはその人の精神性(受け止め方)によって大きく異なってきます。もちろん物的諸条件の絡みというものがありますが、そうしたことも含めてまったく同じ問題だとしてもが悩むことをは悩まなかったり、しかしが“なぜそんなことで悩むのか”というようなことでが非常に悩まされ、それがになるとあたかも世界中の不幸を背負っているかのごとく感じたりなど。同じ問題要素であっても100人いれば感じ方は100通りあることになり、大切なことは「利他的」か「利己的」かということになると思います。

《(*)利己的だとしても神の摂理の一側面に本能的弱さや煩悩に対する慈悲的要素があり、自己の魂成長レベルの一定枠を超えるような利己性がなければ(霊的には厳しく褒められないようですが)あまり心配(悲観)することはないと思われます(*)》

すべての人間が今直面しているさまざまな小さな悩み事を拡大して、私達の心を深く悲しませ、精神をひどく苦しませてくれる一般共通の大きな艱難辛苦というものは魂成長にとって重要な役割をしており、霊的覚醒に至るまでの深甚なる御利益であったり、霊的真理の受け入れ素地を整えてくれる霊的恩恵であるということはシルバーバーチがさいさん力強く語っていることですが、その辺りのことで少し補足しておきますと、ただでさえ小さな小さなミニチュアの神性である地上人の大半は物質文明という底無しの穴蔵の中で冬眠しているのが現状のようで、その深いとても深い暗眠状態の魂の導火線に点火できるものは霊的特効薬――困難や悲劇(人間が嫌だと思っていること)から生じる苦悩・悲痛・危機・絶望しかないようです。

「大半の人間の魂は居眠りをしております。小さな神性の火花が休眠状態にあります。それを煽って大きく燃えあがらせる必要があります。その触媒となるのが困難であり危機であり悲しみであり別れであり病気です」

『シルバーバーチの霊訓』(十二)P71


その困難の性質や程度が決定される要素はいろいろだと思いますし、外的影響力である場合もあれば、基本的には本人の霊性(精神性)に適切なものが、自分(自由意志と自己責任)に与えられていくものだと思いますが、霊的無知のために何度も何度も厳しい体験をさせられても見込み無しであったり、一時的には発芽しかけても効を奏さなかったり、霊的目覚めのため、神の子としての成長のために極めて重要な役割をしている地上生活中は結局のところ不発で終わってしまうことは実に不幸なことです。

また自分(管理人)が基準となりますが「霊性」と「人格」の双方で(格差があるほど識別しやすい)かなり高いと思われる人々――霊的真理に目覚めれば頼もしき霊界の道具になられたであろうと思われる人々が霊的無知のまま他界されることは霊界からしてみても、地上からしてみても非常に損失であり、とても悲しいことです。予想通りに優れていれば本人もひどく後悔することになると思われますが、その後悔――霊的知識さえ知っていれば為さなかった愚行・為せたはずの善行などに対する自責の念――が何世紀にも亘って魂成長の足かせになってしまう可能性もあります。

 《苦難の時こそ霊性の発揮しどころ》

私達の霊性進化(魂成長レベル)の程度が問われる同時に霊性の発揮どころであり、さらなる霊的向上の機会(チャンス)となるのが日向ではなく日陰であり、晴れやかではなく雷鳴が響き渡り、暴風と豪雨にもがき苦しんでいる最中であるというのが高級霊達から学んでいる極めて大切な霊的教訓です。

これは非常に厳しい教訓です。

「霊的資質は永いあいだ潜在的状態を続け、魂が十分に培われた時点でようやく発現しはじめるものです。それが基本のパターンなのです。すなわち悲しみや病気、あるいは危機に遭遇し、この物質の世界には何一つ頼れるものはないと悟った時に、はじめて魂が目を覚ますのです。何ひとつ煩わしいことがなく、空は明るく静かに晴れ上がり、すべてがスムーズにそして穏やかに運んでいるような生活の中では、真の自我は見出せません。すばらしい霊的覚醒が訪れるのは、嵐が吹きまくり、雷鳴が轟き、稲妻が光り、雨が容赦なく叩きつけている時です。困難にグチをこぼしてはいけません。困難は霊の拍車です。霊的知識をたずさえてそれに立ち向かうことです」

『シルバーバーチの霊訓』(九)P70


愛する人やペットのあの世への先立ち――たかが数十年の別居的生活(一時的な寂しさ)のことは別として、自分や家族やペットの思わぬ事故や病気による辛苦悲哀、突然の失業や破産による危機絶望などはできれば味わいたくないものです。魂成長レベルや精神構造がすべて異なる人間関係(実に複雑に影響し合っている社会生活)から生じる苦しみや悲しみも避けたいものです。

「人生の難問の一つ一つを、あなたが解決を迫られている課題として受け止めなさい。それに挑戦していく過程の中で霊性が磨かれ、発達し、潜在的神性が表面に出てくるのです。順風満帆に事が運んでいる時に感謝する必要はありません。難問が生じた時こそ感謝すべきです。あなたにとっての挑戦課題が突きつけられたのであり、それを真正面から受け止めることによってあなたの霊性が一段と磨かれる、その絶好のチャンスだからです」

『シルバーバーチの霊訓』(十二)P68


しかし辛いことや悲しいこと、自分を悩ませる厄介な問題が生じてしまった時だからこそ霊的知識と視野でもって甘受(楽観)しなければならないのが霊的修養であり、一年木の葉一枚の魂成長の基本原理のようです。これは非常に頭の痛い教訓ですが、いかなる事柄が生じようとも、そのことによって一時的には低迷させられてしまっても、その低迷を何度も繰り返させられたとしても、その際の奮闘努力は確実に精神強化と魂進歩の糧になると思います。

「時として酷(きび)しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。そんな時は大霊の象徴であるところの太陽に向かって、こう述べるのです――【自分は大霊の一部なのだ、不滅なのだ。永遠の存在であり、無限の可能性を宿しているのだ。そんな自分が、限りある物質界のことで挫(くじ)けるものか】、と。そう言えるようになれば決して挫けることはありません」

『霊的新時代の到来』P64〜65


沢山のダイヤモンドが詰め込まれている『シルバーバーチの霊訓』の中でも、上のシルバーバーチの言葉は私が特に大切にしているものの一つですが、晴れやかとか嵐とかのことは関係なく、内省的時間とかさまざまな局面で思い出すものです。たとえば心配ないし不安に負けてしまいそうな時には「神性」という言葉一つに集中します。ある程度の心境変化が生じて来たら「神の子」という言葉に変え、さらに変化して来れば霊的太陽(大霊)をイメージして上のシルバーバーチの言葉を思い出しながら心の中で唱えるわけですが、外であれば何処かのトイレなどに入って「数分集中」すれば良いと思います。

「霊はいったん視野が開かれれば、悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、決してそれを悔やむことはないはずです。燦々(さんさん)と太陽の輝く穏やかな日和(ひより)には人生の教訓は身に沁みません。魂が目を覚まし、それまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れこめる暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。

地上の人生はしょせん一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の段階の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練が必要なのです」

『シルバーバーチの霊訓』(三)P53


厳しい試練≠ニいうものにも次元(レベル)があり、その発動力は大きく二種類の要素があると思われます。一つは本人のカルマが関係している【強制的試練(利己性から生じさせた自業自得)】であり、もう一つは【挑戦的試練(霊性に動かされた尊い愛の生き方)】となりますが、前者は償いとなり、後者は美徳となります。ただどちらも魂成長という同じキーワード(崇高な叡智)に支配されており、前者は可能性であり、後者は確実となります。

《(*)さまざまな人々(自由意志・影響力)が絡み合う日常生活の一つ一つの困難も試練と表現する場合があると思いますが、ここでの試練は純粋な自己責任による悪果と善果の観点から書いています(*)》

とにかく私達は何かしらの困難に直面している時には、ただでさえお粗末な視野がさらに狭くなってしまい、その重圧が大きければ大きいほど太陽(真理)を見失ってしまいます。以下のシルバーバーチの抜粋は素朴ですがとても大切なことが示されています。

「黄金は地中から掘り出された時から輝いているわけではありません。打ち砕かれ、精錬され、不純物を取り除かれて、ようやく純金の輝きを見せるのです。立派な人材も、困難との葛藤を経てはじめて本物となるのです。

永遠の真理にしがみつくことです。影がさし、太陽の光が遮られても、それは一時的に雲が通りかかったにすぎないと思いなさい。その雲のうしろでは太陽が輝いているのです。逆境の時にも、大霊の愛が働いているのです。

『新たなる啓示』P207



「あなたがたの方から見放さないかぎり神はあなたがたを見放すことはありません。私は、神の子すべてにそういう視野をもっていただきたいのです。そうすれば取越苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。いかなる体験も魂の成長にとっては何かしらの役に立つことを知ります。その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。その“さ中”にあってはそう思えなくても、それが真実なのです。あなた方もいつかは私たちの世界へお出でになりますが、こちらへ来れば、感謝なさるのはそういう暗い体験の方なのです。視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、その“さ中”にある時は有難く思えなくても、霊の成長をいちばん促進してくれていることを知るからです。今ここでそれを証明してさしあげることはできません。こちらへお出になればみずから証明なさることでしょう」

『シルバーバーチの霊訓』(六)P205〜206


(7)「守護霊と背後霊」

守護霊は大霊すなわち神の専属的代理人≠ナす。多くの場合は同じ霊系いわゆる【類魂(グループソウル】に属する霊です。

「母体内の受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当たる霊は何人かおります」

『シルバーバーチの霊訓』(一)P179


「神は(中略)人間を、友(*守護霊)も援助者(背後霊団)も付けずに地球という孤島に島流しにたわけではありません。一人一人に必ず守護霊が付いており、父が我が子を見守るように、一瞬の休みもなく見守っています」

『アラン・カルデック『霊の書』』P206
《(*)は管理人です》


守護霊が決定される要素は使命(霊媒や霊能者あるいは聖賢など)である場合もあれば、地上人との親和力である場合もあるようですが、さらに他の類魂霊――厳密に言えば類魂中心霊(類魂最高統括霊)とも繋がっている――などから要請を受けて任意(自由意志)のもとに私達に(霊的に)寄り添っているようです。

「最大の不信の徒の心をもとらえて放さぬ教理がもしあるとすれば、この守護霊の存在(中略)の教理です。あなたの傍にはいつも、あなたよりも優れた者がいる。その人はあなたに常に寄り添い援助を与え、進歩の坂道を登るのを支え助けてくれている。この世のどんなつながりよりも深い縁で結ばれ、その情愛は真実、あなたのために尽くしてくれる、その人が傍に居る。こう考える時――これ以上の心の慰めがありますかな? このような存在が、神の命によってあなたの傍にいる、この者をあなたの側に置かれたのは神である。彼等は神の愛によってそこに在る、彼等は高貴にして労多い使命をあなた方のために果たしてくれている。あなた方が行く処に彼等はあり、地下の牢獄、人里はなれた処、らい患者者の家、どんな墜落漢の巣窟にも彼等は居る。何者もあなた方を、その見えぬ友から引き離すことをしない。その優しい刺戟はそこにあり、心の奥深くで賢者の誡告は聞こえる」

『アラン・カルデック『霊の書』(上/市販)』P214
《*「○○である」を「○○です」など。
少し文章を変えています》


霊的因縁(霊系/類魂)で結ばれている守護霊と地上人とは、血縁的因縁を遥かに凌ぐ尊い【永遠の霊的愛(純粋愛・真実の愛】で結ばれていることになりますが、守護霊の使命・任務は敢えて説明するまでもなく地上人の【魂成長(霊性進化)】となります。

守護霊は地上人の魂成長レベルや精神性、良質的な性癖ないし気性、あらゆる欠点ないし弱点だけでなく、生まれてから現在に至るまでの全体験(人生経緯)も現在の物的諸条件もすべて知っています。また私達が地上誕生前に決めている「大よその人生計画(成長設計)」も知っていますし、魂成長の最大の足かせとなっている【カルマ】ようするに“霊的過ち未精算分”もすべて知っています。

つまり守護霊は「霊的・精神的・物的諸条件」のすべてを計算・考慮しながら、私達が永遠の財産(神の子としての内容向上)をより高められるための【魂成長(霊性進化)の歩みのための守護任務】をしているということになります。けっして(大多数の人間にとっては発達障害としかならない)物的御利益を甘やかすために付添っているのではなく、死後のより高い幸福に導くための守護をしているのです。

「各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚が無ければ、無意識の心霊能力を持ち合わせていないかぎり守護霊は働きかけることはできません。霊の地上への働きかけはそれに【必要な条件】を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。霊の世界との連絡をとれる条件を用意してくれれば、身近な関係にある霊(守護霊を中心とした背後霊)が働きかけることができます。

よく聞かされる不思議な体験、奇跡的救出の話はみなそれなりの条件が整った時のことです。条件を整えるのは人間の方です。【人間の方から手を差しのべてくれなければ】私たちは人間界に働きかけることができないのです」

『シルバーバーチの霊訓』(二)P209
《()は管理人です》


「霊が地上へ誕生してくるに際しては、一人の守護天使がつけられます。(中略)【両者の関係がどこまで親密となるかは地上の人間の霊的成長しだいで決まる】ことです。守護霊の働きかけをまったく感受できない場合は、霊力を使用して外部環境から操作せざるを得ません。意識的協力が不可能な場合は、無意識のうちにでも協力関係をもたねばなりません。霊界からの働きかけは霊的にしかできませんから、いつどこであろうと、条件が揃った時にその影響力が届けられるように配慮するわけです」

『霊的新時代の到来』P33


守護霊は神の摂理から許される範囲で、地上の人間を支え、援助し、そして霊的成長(霊的覚醒や真理受け入れ用意整い)のために導いているようです。悲しんでいる時には慰め、苦しんでいる時には癒し、怯えている時には勇気づけ、弱っている時には元気づけ、さまざまな困難・辛苦・悲哀・危機・絶望を乗り越えつつそこから教訓を学び、霊的に成長できるように寄り添ってくれているようです。

「私たち(霊界の者)が人間を指導するに当っていちばん辛く思うのは、時としてあなた方が苦しむのを敢(あ)えて傍観(ぼうかん)しなければならないことがあるのです。【本人みずからが闘い抜くべき試練】であるということが判っているだけに傍(はた)から手出しをしてはならないことがあるのです。首尾よく本人が勝利を収めれば、それは私たちの勝利でもあります。挫折すれば私達の敗北でもあります。いついかなる時も私達にとっての闘いでもあるのです。それでいて指一本援助してはならないことがあるのです。

私も、人間が苦しむのを見て涙を流したことが何度かあります。でも、ここは絶対に手出しをしてはならないと自分に言い聞かせました。それが摂理だからです。そのときの辛さは【苦しんでいる本人よりも辛い】ものです。しかし本人みずからの力で解決すべき問題を私が代って解決してあげることは許されないのです。もしも私がこの霊媒(バーバネル)に為すべきこと、為すべきでないことをいちいち指示し始めたら、一人間としての自由意思を奪うことになるのです。その時から【人間としての進歩が阻害】されはじめます。霊性の発達は各自が抱える問題をどう処理していくかに掛かっています。物ごとがラクに順調に捗(はかど)るから発達するのではありません。困難が伴うからこそ発達するのです」

『シルバーバーチの霊訓』(四)P22〜23


守護霊は地上人が神の子としての道から大きく外れてしまい、霊性がどんなに墜落しようとも、精神がどんなに腐敗しようとも、たとえ地上最悪の犯罪者・愚者になってしまっても(何一つ些かたりとも変わることのない真実の愛情で見守ることはあっても)絶対に見捨てることのない神の専属的代理人のようです。その子なりの良き思いを抱けば誰よりも喜びそれを煽って行為に発展させ、そうしたことを何度も繰り返しながら霊的救済(魂成長)のために全力を注ぐようです。

 ◆《背後霊》◆

背後霊は地上的血縁で結ばれている場合もあれば、多くの場合は血縁とは無関係であり、地上的職務や役割などの物的要素の強い親近性の場合もあれば、人生総体としての目的や志が同じなどの霊的親和力によって結ばれたりもします。その数は私達のような霊的凡人であれば3人5人くらいが通例だと思います。

背後霊との関係で大切なことも【調和力】となりますが、地上時代の国籍や民族や肌色、社会地位などの身分に拘ることは実に愚かしく、とても悲しいことで、その執着(物的価値観・霊的不信)の度が過ぎれば“不調和的要素”となるようです。また数に拘ることも禁物で、仮に百人の背後霊が付添ってくれているとしても調和力0%であるなら、一人だけの背後霊との調和力100%の方が遥かに自信が漲り、沈着冷静にして勇敢果敢の生き方ができると思われます。

「血縁関係がある場合もあれば、地上的な縁故関係はまったくなくて、果たさんとする目的において志を同じくする者、言って見れば霊的親近感によって結ばれる場合もあります。そこには民族や国家の違いはありません。地上を去り、地上的習性が消えていくと、民族性や国民性も消えていきます。魂には民族も国家もありません」

『シルバーバーチの霊訓』(二)P130
《(*)は管理人です》


背後霊は私達の守護霊の許可・監督のもとに霊的に寄り添い、そして献身援助してくれているわけですが、守護霊が【良心ないし道義心】言い換えれば“道徳的要素”に働きかけているのに対して、背後霊は【物的側面(その時々許させる範囲内での物的援助など)】を主流に働きかけているようです。ただ中でも指導的立場にある霊――簡単に書いてしまえば指導霊となりますが――は守護霊の代理的役目をしていることがあるようです。

「いつも明るく楽天的で愉快な気分(*霊性と知識に支配されている状態)を忘れないようにしてください。うなだれてはいけません。背後霊にとって最も働きかけやすい雰囲気は、陰うつさや落胆や絶望感の無い状態です。そうした陰湿な感情はあなたのオーラを包み込み、背後霊にとって厄介な障害となります」

『シルバーバーチの霊訓』(十二)P149
《(*)は管理人です》


守護霊が地上滞在中だけでなく霊的世界でも永続的に寄り添ってくれるのに対して、背後霊は入れ代わることがあれば増えることもあるようです。特に地上人の魂が成長し、霊格が向上した時には同等の霊と入れ替わったり、あるいは増えたりなどですが、霊的・精神的なことにしろ、物的なことにしろ、大きな変化が生じた場合にもそうしたことが起こることがあるようです。

最後に一つ。守護霊にしろ背後霊にしろ地上人からすれば無償献身を試み尽くしてくれている印象ですが、私達と同じように【霊性進化】という動機・目的に支配されています。

「霊的知識があるからこそ、いかなる心配、いかなる悩み、いかなる不安にも、皆さんの精神的・身体的・霊的環境の中への侵入を許してはならないのです。心配、悩み、不安――こうしたものは援助の力の通路そのものを塞いでしまいます。(中略)哀悼者の悲しみ念が壁となって他界した霊を近づけなくするように、気苦労のバイブレーションに取り囲まれてしまうと精神的・霊的雰囲気が乱されて、ますます霊を近づきにくくします。

皆さんは“愛に動かされた霊”によって導かれているのです。そうした霊のさらに背後には無私の博愛心に燃える“高級霊の大軍”が控えているのです。美と豊かさと荘厳さと威厳と光沢と気高さと光輝とにあふれた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間がこしらえる条件によって制約されるのみです。(中略)

【過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯してきた間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯し、それから学ぶために地上へやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです】

大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです。どんな形でもよろしい。自分の置かれた物的環境条件から考えて無理でない範囲のことを行えばよろしい。先のことをあまり考え過ぎてはいけません。皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私たちは私たちの役目を果たします。そして、そうした協調関係の中では絶対に挫折はないことをお約束いたいます」

『シルバーバーチの霊訓』(九)P192〜194


(8)「霊性を持ち合わせない動物達」

とくに犬猫などの動物達(ペット)が【自分の命を犠牲にして人間的ファミリーやパートナーを助けることがある】などの言葉では表現できない尊い物語が実際にあること。それが決して珍しいことではないことは多くの人が知っています。

たとえば家事のエピソードであれば、巨大な火炎と大量の黒煙(有毒ガス)とが猛威をふるっている家の中に飛び込んで、泣き叫んでいる最愛の主人の子供(赤ちゃん)を助けた代わりに肉体生命力を失ってしまった犬などの話です。霊性を持ち合わせていない――まだ純粋な動物的段階の進化レベルである彼らの“犠牲行為”は私達にはマネできない英雄行為となりますが、そうした結果論として命を犠牲にした行為だけでなく、人間を心から感動させると同時に強く内省させてくれるような愛情深さ・献身性・忠誠心・忍耐力などの美質を多くの動物達が私達以上に持ち合わせています。

 ◆《動物達の子育て――「愛情深さ(親子の絆)」》◆

私もスピリチュアリズム(『シルバーバーチの霊訓』)から訓えられている基本的な動物愛護(動物保護活動)を実践努力していますが、特別に動物が好きというものでもなく、必要以外のことでは学習することはありません。ですから犬や猫などの身近な動物でも(最近猫と暮らし始めましたが)細かな性質(習慣)のことは何も知らないわけですが、しかし動物達の子育てがどれほど健康的で美しいものであるかくらいのことは知っています。

文明生活とは縁遠い分だけ、優れた知性がない分だけ、過激な欲望・欲求がない分だけ“汚れる”ことがないからかもしれませんが、人間のような煩悩的あるいは打算的教育というものがありません。たとえ霊的には優れている両親であっても多くが霊的無知のために盲目的ゆえの愚的教育になっているのが現状で、結果的には子供達に不必要かつ深刻な不幸(霊的・精神的発達阻害)を生じさせてしまっているものと思われます。それに対して動物達は純粋本能による素朴な愛情に次ぐ愛情――自然法則の枠組みの中で必死に子供達を守り、必要最低限の大切な生き方だけを教えながら成長させる――でもって一生懸命になって子供達を大切に育てています。

 ◆《私達は潜在的には高等動物を遥かに凌ぐ霊性を持ち合わせながらも現実的には下等動物並み》◆

動物達よりも遥かに優れた「知性」を持ち合わせ、遥かに素晴らしい「個性(霊性)」を持ち合わせ、地球的進化の最高峰を歩んでいるはずの地上人の大半つまり私達は【高等動物以上の可能性】を潜在的に秘めていながらも、また日常的活動でしばしば発揮していながらも、【総体的内容としては下等動物並み】になってしまっているのが現状かもしれません。それは血縁的子供(肉体的家族)に対することだけでなく、また基本にして一番大切なことで最も難しいことだとは思いますが、日常的に触れ合うというだけの物理的意味での隣人に対することだけでもなく、この【小さな惑星地球全土の霊的隣人家族】――同じ神から永遠の遺伝(神性)を受けついでいる【魂兄弟姉妹達】に対する実際の影響力としての自分を客観的・良心的に分析すれば明白な事実として認識できるものと思われます。

 ◆《私達は言葉の価値を下げない》◆

本来は美しい愛やその他の資質と同じように【犠牲的要素】にも無限の色彩(表現活動)があり、無数のランクがあるものと思いますが、その客観的行為――自分にしろ周囲の人々にしろ犠牲的と思われるような外的行動の原動力が“霊性”である場合もあれば(美的・愚的の関係なく)“動物性”である場合もあり、どちらにしても程度があると思われます。

私達の魂成長とっても同胞の霊的進歩にとっても、この悲しい小惑星地球の霊的同胞家族のすべての幸福――あらゆる事柄の理解・発展・成就にとっても大切なことは、私達がその言葉の“価値(神聖さ)”を下げてしまはないように努めることだと思います。そのことはその他いろいろな道徳的要素(言葉)にも当てはまるものと思いますが、とくに【無償(純粋性)】という言葉も同じです。動物達でさえ美しい無償行為を沢山表現しています。

 ◆《最後に》◆

ここでは動物の話題を用いて書いてみたわけですが、霊性を持ち合わせない動物達――種類を異にした進化段階の違い。同種ではあっても発達程度の違いにもよると思いますが――その多くが私達人間以上の美的資質を発揮している事実。特に単純素朴な愛情深き親子関係は、複雑難解をきわめた文明社会の奴隷とも言うべき人間親子がお粗末にしか思えないほどの美しさを演出しているという事実に心を向けることは、いろいろな意味でとても大切なことだと思います。

「動物に教えられることが多いのは当然のことです。動物は忠誠心、愛着心、犠牲心、献身といった資質をけなげに表現しますが、これは【人間が学ぶべきすばらしい手本】です。しかし人間はそれらを意識的に、そしてもっと高度に発揮できます。なぜなら、動物よりも意識の次元が高いからです。ただし、ここでは“霊的意識”のことではありません」

『シルバーバーチの霊訓』(八)P200
《(*)は管理人です》


《(*)つまり霊的意識中心生活ができなくても。たとえ本能(動物)レベルではあっても。私達が真剣に努力していれば、現在の数倍あるいは数十倍もの美的資質を発揮できるようになれるということです(*)》

私達は大宇宙の王様(キング)である大霊から神性を受けつぎ、同じように叡智に支配された気高い霊的愛を発揮できる能力を潜在的には授かっています。無限莫大な可能性を秘めている霊性を宿した永遠の神の子(霊的存在)です。未熟な私達は本来主役であらねばならない霊性の供わない、あるいは極めて乏しい外的活動(手段)から入るしかないと思われますが、しかし内省的生活を精一杯努力しているうちに、気づかないうちに自分なりの最高の霊性を発揮していられるようになれると思います。それは動物達以上の本来の自己能力となりますが、性質と分量ともに「一年木の葉一枚」の少しずつ向上して、いわゆる“霊的な人”になっていけると思います。

その奮闘努力を誰よりも待ち望んでいるのは地球霊的同胞家族永遠の霊親であると同時に永劫の目標である大霊です。またその大霊の御心(神の摂理)の許に(霊的に)寄り添ってくれている守護霊や背後霊達です。それと忘れてならないのは地球圏高級神霊です。








「神性を宿した種子は一人の例外もなく“すべての人間”に植えられております。その小さな種子は畑に蒔かれた種子と同じく、正常な生長を促(うなが)す養分さえ与えれば、やがて芽を出し、花を咲かせ、そして美事な実をつけます。その種子は、神があなた方の魂に植えてくださっているのです。が、その手入れをするのは自分自身です。いつ花を咲かせるか、あるいは、はたして首尾よく花を咲かせるかどうかは、ひとえに各自の努力に掛かっております。各自には自由意思があります。もしもその種子を暗闇の中で閉じ込めて霊的成長のための光、慈善の光、善行の光を与えずにおけば、神の属性はいつになっても発揮されることはありません」

『シルバーバーチの霊訓』(四)P37



「霊にかかわる分野において進歩が容易に得られることは有り得ません。もし容易であれば成就する価値がないことになります。霊的進化はもっとも成就しがたいものです。一歩一歩の向上が鍛錬と努力と献身と自己滅却と忠誠心によってようやく克(か)ち得られるものだからです。霊的褒賞を手に入れるには奮闘努力がいるのです。もしも簡単に手に入れるものであれば価値は無いことになります。価値が出るのは入手が困難だからです。それはいつまでも終わることのない道程です。霊的進化に終局というものはありません。水平線のようなものです。近づくほどに遠ざかっていきます。

それと同じで、学べば学ぶほど、さらに学ぶべきものがあることを知ります。進歩は知識や真理や叡智と同じく、限界というものがありません。ここまでという区切りがないのです。

一段よりも二段が上であり、二段よりも三段が上であり、三段よりも四段が上であるにきまっていますが、いずれもそこまでの到達度を示しているにすぎません。一段一段が人生の目的、真実、人生の拠って立つ永遠の原理をそれだけ多く理解したいという指標であり、その理解とともに調和が訪れます。

成就は調和を生みます。宇宙を支配する霊力を身につけるごとに、それだけその根源との調和が深まります。生活が豊かさを増します。本当の価値の識別力が身につきます。その識別力が正しく働くようになります。選択の“優先順位”がきちんと決められるようになります。何が“もっとも大切”であるかが分かるようになります。ほかの人たちが必死に追い求めるものがあほらしく思えるようになります。この世的な富への執着がすっかり無くなったとき、霊の宝がいささかも色褪(あ)せることなく、傷つくこともなく、常に本来の純粋素朴な美しさを見せるものです」

『シルバーバーチの霊訓』(四)P90〜91



「自分で判断して、これが正しいと思う生き方をすればよいのです。世間がどう言おうと構うことはありません。まわりの人が何と言おうと気にすることはありません。自分で正しいと思うこと――この方が得だとか都合がよいとかではなく、心の奥でこうするのが本当だと確信した道を選んで、突き進むのです。いたって単純なことなのです。ところが地上という世界は、その単純なことでは気が済まないところのようです。複雑なもの、込み入ったことがお好きのようです。そろそろ平凡に思えてくると、真実とはもっと難しいものなのではないかと思いはじめます。

そこでわたしは、あくまでも良心の声に従いなさいと申し上げるのです。【良心とは内部に設置されている神の監視装置――“当人にとっての”善と悪とを選り分け、進むべき道を決断する】ための手段です。問題はそのあとです。かくあるべきとの良心からの指示を得たら、その方向にいかなる困難が予想されようと、臆することなく、迷うことなく、その指示に従わないといけません。最後はきっとそれで良かったということになるのです。単純なのです。これ以上わかりやすい話はありません。

あなたには、宿命的に、有利な条件と不利な条件とがあります。しかし、同時に、あなたならではの才能をお持ちです。それを他人のために役立てなさい――わたしからはそう申し上げるしかありません。今生きておられる世の中は、涙と苦しみと悲しみと惨めさに満ち満ちております。そうした中にあって、あなたより幸せの少ない人たちのために役立つことをなさることです。

見回してごらんなさい。慰めを求めている人、導きを求めている人、光を求めている人たちが無数にいます。そういう人たちのためにあなたが何かの役に立つかも知れません。自分ではどうしようもない、不幸な境遇の犠牲になっている人が多すぎます。その日の食べものにも事欠く人が多すぎます。ほこりと不潔と病気の中で暮らしている人が多すぎます。思うにまかせない不自由な身体で生きざるをえない人が多すぎます。もしかしたら、その中にあなたにも手助けしてあげられる人がいるかも知れません。そういう人たちの身になってあげることが大切なのです。そして、あなたなりの手助けをしてあげる――そこにあなたの試金石があります。

いいですか、ほかのことは信じていただかなくても結構ですから、次のことだけは信じてください。あなたが生涯でたった一人の魂に光明を見出させてあげることができたら、たった一人の人間の飢えを満たし、のどの渇きをうるおしてあげることができたら、たった一人の人間の肩の荷を軽くしてあげ、前途に横たわる石ころを取り除いてあげることができたら、それは地上の全財宝にも勝る貴重な行為をしたことになるのです。

【そのためにもこれからあなたは霊的実在について少しでも多くの知識を身につける努力をなさらないといけません。残念ながら生涯を暗闇の中で過ごす人が多すぎます】。わたしたちはその暗闇にささやかな“霊的真理の明かり”を灯してさしあげようと努力しているところです。それは無用の闇だからです。地上にも真の天国となる可能性があるのです。それが実現するか否かは、真理を手にした人が生活の中で実行するか否かにかかっております」

『地上人類への最高の福音』P38〜39



「進化とは、不完全なものが少しずつ完全になっていくということを意味するのですから、それは当然、苦を伴う過程であるはずです。そのこととは別に、同じく苦しむのでも、地上には無用の苦しみが多すぎるという事実を指摘したいのです。みずから背負(しょ)い込んでいる苦しみ、みずから好んで無知と愚かさの道を選んだために引き起こしている苦しみ、偏見が生み出している苦しみ、迷信に捉われているために生じている苦しみ――わたしが取り除きたいのは、そうした無くもがなの苦しみです」

『地上人類への最高の福音』P50〜51









《おしまいに》



大霊は私達を愛するがゆえに陰日向を用意しているようです。私達を御自身に近づけるために光と影(真実と幻影・本物と偽り)を体験できる宇宙構造(大自然の摂理)にしているようです。愛と憎しみ、喜びと悲しみがあるのは“神が愛であるこそ”のようです。仮にもしも進化もなければ変化もない。向上心など必要なければ善行努力の必要もない。愛や美質の価値がない永遠の生活があったとしら、それこそ永遠の地獄(退屈)になると思います。魂成長こそ不滅の霊的生命の永遠の幸福であると同時に永劫の目的です。

小さいこと大きいこと関係なく、これからも様々な問題や困難が生じると思いますが、大切なことは【何事も修行】――

《私達はいつも神の愛の眼差しに見守られ、神の愛の摂理に支配されている。嵐にも晴れやかにも神の目的(私達の霊性発揮と魂成長)が宿っている》

ということです。

そして自分次第でそれなりの精神強化と魂成長の肥しになるということで、それを神が望んでいるということです。私達はちょっとでも問題や困難に遭遇すると動揺したり、心配や不安の念を抱いてしまいますが、神が守護霊や背後霊を寄り添わせてくれていることを忘れないことが大切です。








(1)大霊(永遠の父母)
(2)神との絆(永遠の遺産)
(3)魂成長は“神の子”としての成長
(4)魂成長の決定要素は神の摂理
――全人間的生命の永遠不変の善悪基準
(5)大切なことは良心の声
(6)大切なことは霊性発揮
 (◆)同胞への霊性発揮
 (◆)艱難辛苦での霊性発揮
(7)守護霊と背後霊

(8)霊性を持ち合わせない動物達
   おしまいに

◆【別室】◆
(補足)

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