独断で掲載した動機



もちろんメールしようと思いました。このサイト管理者であることを打ち明け、弁論文の掲載許可の申し出をしようとしてパソコンと向き合いました。でも、あることが思い浮かんでためらったのです。どのようなことかというと、何度かの面識ではありますが、私が受けている印象では〇○さんは非常に頑固そうなのです。その頑固さがとても気になったのです。もし、その頑固さが〇○さんの真理観への忠実さとなって現れて――

「私は結構なのです。普及会のみなさんにどのように思われても、何を言われても。どうぞそっとしておいてください。お気持ちは嬉しく思い、ありがたく頂戴しておきます。」

とでもなったらどうしようかと思ったのです。

《(*)私の「頑固」は良い意味の褒め言葉です。褒められない意味で使う場合には「頑迷」です。(*)》

そこで考えたのが、○○さんだって虚像(誤解・偏見)を少しでも和らげたいはず。○○さんの守護霊や背後霊などの霊界の人々もそのように思っているはず。一匹狼としてのイメージの正統派の熟練スピリチュアリスト(一個の神の道具・霊的真理の伝道者)に、あまりにも不必要・いい加減と思える障害など絶対にあってはならないということです。とにかく、強烈に神を意識し、自分の愛観・真理観に忠誠する。私はこの世的な孤独など恐れずに行動に出る。出来る限りの最善を尽くす。と、心の中で誓ったのです。

因みにですが、私は「10年間の虚像の一人歩き」という言葉と向き合った瞬間にあることを直感しました。それが正しいか否かは別として、第一印象などのある種の雰囲気に対する回答です。回答に思えたのです。それが言葉に出来ないくらいの後悔のような、無念さのような、悲しみのような、とにかく強烈な同情心となって燃えさかったのです。私には背を向けることなどできない。スピリチュアリズム普及会や信奉的な人々、その他の全国の賛同的立場の人々を敵に回してでもあの人のために何かをしたい。と、心の中で囁(ささや)いたのです。そして「こんな自分に、いったい何が出来るのだろう……。何もないだろう……。」と考えていたわけですが、そのうち弁論文掲載の思いつきが生まれたのです。

◆「弁論文の撤去依頼については即刻対応します。」

正直、〇○さんからメールが来るのではないかとドキドキしています。もし除去依頼を受けたら即刻応じます。一先ず、この場を借りてお詫びし、そしてさらに「心から霊的献身と奉仕を頑張ってください。」とエールを送ります。ただ一つお願いしたことは、これは《こちら》を掲載した時点での動機です。それからは《こちら》の違った動機(試み)が生まれています。どうか、その時は、全体を読んでもらってから、もう一度考えてほしいと思っています。

《(*)これは最後の「はじめに」を掲載した前夜(9月13日)のことでした。弁論文の掲載のことで、やはり、独断での掲載は間違っていたかな……。と考えていたわけですが、あることに気づいたのです。逆にもし、連絡して許可を得ていたら、私は気転を利かせることが出来ずに「掲載は許可済み」とでも書いてしまっていた可能性があります。そこで懸念されるのが、歪んだ受け止め方をしてしまう人がいて、さらに別の虚像が一人歩きを始めてしまうかもしれない、ということです。私は思わず、「そうだよな!」と声を出して納得し、喜んだわけですが、勝手ながら私としては、結果的に最高の形だったと思っています。(*)》





「極めてデリケートな問題です。すべての転載を禁止します。たとえば、間違ってもチャンネルなどの掲示板に転載しないように。純朴なサイトやブログであればリンクはOKです。検索エンジンには拾われないようにしています。」


著者から見たスピリチュアリズム普及会

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