【補足】(魂成長/霊性進化)





●「大霊ないし神について」

特に急速的に文明発展した近代日本などでは「物」に執着し、「金」を崇拝するという物質至上主義(物欲奴隷)の濃度が著しく高まり、無知な人々の大多数は頑固な“唯物主義”や“利己主義”となってしまっているので、本来霊的本能の自然な欲求――探究心(憧憬)から忘れられている存在ですが、太古の昔から多くの人々から直観され、多くの民族から太陽が一つのシンボルであると考えられ、そして崇められてきた未知の大いなる実在です。

地上では“ゴット”と表現している人がいたり、“神”と表現している人がいたり、国や地域(宗教的・民族的事情)によってさまざまな言語で表現をされていますし、中には多神論者(多神教)――人間的都合に見合ったいろいろな種類の神さまが沢山いると思い込んでいる人々もいるようですが、シルバーバーチは「地上の人間は身勝手な、しかも自分にとって都合の良い神を想像し、それを本物だと思い込むから厄介です」という内容のことを述べています。

神学や宗教あるいは神秘・思想的なものなどの人工的学識を学んで、結果的にはそうした人間的神観の影響を受けてしまって、そのようになってしまっているのだと思いますが、それが個人的な想像範疇であれば良いですが、宗教やカルト団体などの組織的事情が絡んでくると口論や諍いに発展したり、友人や家族間で仲違いを起こしたり、民族離反や宗派分裂の原因になったり、テロ(聖戦)や戦争の原動力になりますから本当に深刻です。

《(*)物質崇拝主義の人々でも歴史的神社などの“御利益の神さま”となると、普段は軽蔑したり、嘲笑しているはずの“見えざる力”の可能性の前に態度を一変させるような人もいるようですが、そうしたものはホームセンターなどでもよく見かける【木材】を中心に建築された日本風アートで、神主さんが自身の商売のために。依頼を受けた棟梁(とうりょう)が生計のためにこしらえたものです。またお札などの「神」と書かれた「紙」は、やはりただの【紙】となります。仮にもしも、たかが数十年しか生きていない棟梁(一個の人間)が神をこしらえることができるとしたら、神をこしらえるほどの偉大な棟梁を崇めるべきとなります。因みに地上人が想像するような人間的形体(白いお髭のおじいさんなど)をした、しかも人間的愛と感情との結晶のごとく“ちっぽけ”で“お粗末”な神さまなど宇宙の何処にも存在しないようです。それと忘れてならないのは【人物神格化】は非常に深刻です。そのことにより、どれほどの霊的・精神的・物的罪悪や愚行が生まれたのでしょうか(*)》

大霊という表現は、シルバーバーチで言えば地上にいた頃に――実は霊界の霊媒インディアンのことかもしれませんが――使用していたものであって、地上人に訓える際には地上の用語を使用しなければならないということで、馴染みぶかいその大霊という表現手段を使用しているだけのようですが、アリ一匹すらこしらえることのできない小さな人間に、大宇宙を顕現させ、あらゆる存在(全生命)をこしらえ、かつ完璧なる摂理でもって完全統括している無限究極の大霊(神)を想像することなど“不可能というのが“道理”となるようです

霊界の人々、霊性が高ければ高いほど、特に高級神霊界の超高級霊はみなその未知にして崇高な存在を強烈に実感されているようですが、高級神霊からしてみれば霊性と知性ともに顕微鏡世界の微生物ごとく小さな存在である地上人には「完璧なる永遠の摂理」としての大霊を強調して説いているのが高級霊の一致した教訓です。究極のミクロな者達には想像不可能である、究極のマクロにして偉大な存在のことを模索・妄想している暇があったら、その摂理に従いなさいと。

―「大霊はこの宇宙とは別個に存在するのでしょうか?」

「そうではありません。宇宙は大霊の物的反映に過ぎません。大霊は物的宇宙と霊的宇宙にまたがる全体の統一原理です。ハエに地球が理解できるでしょうか? 魚に鳥の生活が分かるでしょうか? 犬が人間のように理性を動かせることが出来るでしょうか? 星に空全体が分かるでしょうか? 人間的知性を遥かに超えた大霊があなた方に理解できるでしょうか」

『シルバーバーチは語る』P125


「永遠」とか「無限」とか、とにかく“終わりがない”ということの“意味が分からない”ということが理解できる精神性の人であれば、大霊のことは霊的歩みの原動力、つまり【心の支え(信仰力)】として大切にしながら【神の摂理との調和的生活】をひたすら努力することが重要であり、賢明かと思われます。

●「神の慈悲について」

神は慈悲深いのか? ということですが、個人的には大霊そのものは“完全にして無限の慈悲”ともいうべき存在であると思っています。ただ人間的理解を持ち合わせた人間的温度のない慈悲的叡智ということになりますし、大霊はすべての生命現象(大宇宙)を自然法則ないし摂理に委ねています。とにかく以下シルバーバーチの抜粋で最初の方は否定的ですが、後の方は肯定的なものです。

――「慈悲深き神≠ニいう概念を説く人がおり、そういう人にとっては、苦難を通しての人格の陶冶(とうや)などということは無縁のようです」

「神が慈悲深いということを、どこのどなたが説いておられるのか知りませんが、神とは摂理のことです。究極においては慈悲深い配慮が行きわたっておりますが、そこに至る過程においては日照りの日もあれば雨の日もあり、雪の日もあれば嵐の日もあり、穏やかな日もあれば雷鳴の轟(とどろ)く日もあり、酷暑の日もあれば酷寒の日もあり、それがすべて法則によって支配されているのです。

わたしは、それと同じことが愛と憎しみ、怒りと純情についても言えることを説いたことがあります。そこにも大霊の摂理の働きがあるからです。が、それが理解できない人が大勢いらしたようです。大霊が憎しみの中にも宿るということが理解できないのです。しかし大霊は、大霊であるがゆえにこそ、必然的にすべてに宿るのです。摂理なのです。完全なる法則なのです」

『地上人類への最高の福音』P47〜48


――「大霊(神)を全能でしかも慈悲ある存在と形容するのは正しいでしょうか」

「なんら差し支えありません。大霊は全能です。なぜならその力は宇宙およびそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。大霊より高いもの、大霊より偉大なもの、大霊より巨大なものは存在しません。宇宙は誤ることのない叡智と慈悲ぶき目的をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ進化していることは間違いない事実です。

このことは【慈悲の要素】が神の摂理の中に目論(もくろ)まれていることを意味します。いかなる力をもってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。

いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいく過程を防止することはできません。そこに摂理の機械性があり、機械性という用語しかないのでそう言ったのですが、この用語ではその背後に知的で、目的意識をもったダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。

私がお伝えしようとしている概念は全能にして慈悲にあふれ、完全で無限なる神であると同時に、地上の人間がとかく想像しがちな“人間神”的な要素のない神です」

『シルバーバーチの霊訓』(七)P186〜187


二つの抜粋の表現が異なる理由は単純です。その日の交霊会の諸条件(とくに招待客の霊性や精神性など)を踏まえて、その時々の会話の流れに合わせているだけです。最初の否定的見解は【キリスト教などの宗教的弊害】を懸念しての説き方であって、後の肯定的な抜粋は「そのような(より確信的真理に近い)言い方をしても良い条件」が整っていただけのことと思います。

普段私達も大人と幼児とでは表現手段を変えます。ひらがなメインの五歳の幼児に大学レベルの学識を教える人はいません。同じ大人でも親密感はもとより、その個性や精神性などの条件(理解力)に合わせて会話の内容や範囲ないし重点を変えたりします。それと同じようなものですが、シルバーバーチも生徒(条件)に合わせて授業をしています。ですが、その時々の表現手段(言い回し)の工夫であって、全体的内容としては一切矛盾なく訓えています。

その全体的内容からすると【大霊そのものは究極無限の慈悲的存在】となりますが、その定められた大宇宙の摂理――みずからも介入しないと定められた大自然の法則――寸分の狂いなく完全完璧に機能している原因と結果の因果律は【機械的・自動的にして瞬間的】に作用しているがゆえに、時として静寂冷徹にして無慈悲に感じてしまうかもしれませんが、上の抜粋でもシルバーバーチが解説しているように、その摂理にも大霊の無限の慈悲的要素が充満しています。

たとえば地上で法律を犯した場合には「規定ないし帳面通りに非常に大雑把に裁かれる」ということになります。そうしたことから裁かれるべきでない人が裁かれたり、投獄などすべきではない人が何年あるいは何十年もの牢獄生活を強いられたりすることもあるわけですが、それに対して神の摂理は【魂成長レベル】を絶対基準に「精神性」「物的諸条件」をすべて正確無比に考慮されています。大宇宙最高の厳格摂理には霊的条件に配慮された緩和要素があり、善悪の判断力が身に付くまでの一時凍結処置もあり、そうしたことも慈悲深き大霊がこしらえた神の摂理の慈悲的側面になると思います。

●「赤ちゃん」

私達に向けられている大霊の御心ないし眼差しは、地上で赤ちゃんがはじめて立つとき、あるいは歩くときの両親の気持ちや眼差しと同じようなものだと思います。はじめて霊的に立ち上がり、そして歩こうとする私達が上手に歩けないからといって、不愉快に思ったり、苛立ちを覚えたり、あるいは懲罰を与えてほくそ笑むなどということはありません。そもそもそうする必要がないのです。原因と結果の因果律(自由意志と自己責任)にすべて委ねているからです。

何度も転びながらも一生懸命立ち上がり、そして何度も転びながらも御自身に向かって必死に歩いて来る我が子の姿を見て、大宇宙最高の微笑みを向けてくれるのは大霊すなわち神御自身です。

子がみずからの努力で向上し、神の摂理の厳格的側面の背後でひしめきあっている慈悲的側面――空気や死後の世界と同じように今私達がいる場所に充満している慈悲的叡智の受容力を高め、守護霊や背後霊あるいは高級霊や天使を媒介とした「神御自身の愛(支え)」を少しでも多く受取ってほしい。そしていかなる困難(苦しみ・悲しみ)の最中にあっても「安心(楽天)」でもって乗り越えてほしい。そしてより高く霊的に成長し、待ち受けている霊的世界(故郷)で幸せになってほしい、と一番願っているのは大霊です。

●「霊性の一部はいろいろ」

ここでは霊性発揮(魂成長・神性開発)の主流となる神性と愛の二つをメインに霊性として書いていますが、【霊性の一部】と表現される能力(資質)はいろいろあるようです。すでに解説している“叡智”や“良心ないし道義心”もそうですが、霊的能力最高のものとも言える直観力(霊格の指標――霊覚者・霊的指導者の必須的能力)≠竍洞察力(審神者(さにわ)の必須的能力)≠烽サうです。道徳的な言葉を用いて表現すれば寛容や哀れみもそうです。霊的資質と言えるようなものはその他いろいろあるようです。

●「霊性はとても深淵」

また【霊性とはとても深淵】であり、以下の抜粋では興味深いことが示されています。

――「信仰心が厚く、治療家を信頼し、正しい知識をもった人でも意外に思えるほど治療に反応を示さない人がいますが、なぜでしょうか。やはり魂の問題でしょうか」

「そうです。最後は同じ問題に帰着します。信仰心や信頼や愛の問題ではありません。魂そのものの問題であり、その【魂が進化の過程で到達した段階の問題】です。その段階で受けるべきものを受け、受けるべきでないものは受けないということです」

『霊的新時代の到来』P153


――「あからさまに言えば、取り越し苦労性の人は霊的に未熟ということでしょうか」

「その通りです。真理を悟った人は決して取り越し苦労はしません。なぜなら、人生には大霊の計画が行きわたっていることを知っているからです。【まじめで、正直で、慈悲心に富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます】。無用の心配をするという、そのことが、霊的成長の欠如の指標であると言えます。たとえわずかでも心配の念を抱くということは、まだ魂が“本当の確信”を持つに至っていないことを意味するからです」

『霊的新時代の到来』P215


以上の抜粋でも分かるように。たんに無欲であるとか愛情深いとか、そういったことが必ずしも魂成長度の指標――霊性の高さの証明になるわけではないようです。そうしたことは歴史的聖賢(善男善女)の美的個性(強さ)や高尚な生き方からも窺えると思われます。

   《解説》

●「霊と魂の違い」

シルバーバーチも【魂(ソウル)】【霊(スピリット)】という二つの言葉を使い分けて表現しています。たとえば「あなた方は魂です」と言ったり「あなた方は霊です」と言ったりです。

訳者の近藤千雄もこのことについて指摘していますが、それは人間の構成要素(三つのバランス)を表現するときに「肉体・精神・魂」と言ったり「肉体・精神・霊」と言ったりすることです。それに対して近藤千雄は「シルバーバーチを読んでいく上においては、あまり用語上の区別にこだわらない方が良い」と述べていて、同じようなことは他でも述べているわけですが、そのことに関連して以下は主役シルバーバーチと近藤千雄のコメントです。

――「魂(ソウル)と霊(スピリット)はどう違うのでしょうか」

私自身はどう呼ぶかはこだわりません。地上の字引は私がこしらえたわけではありません。私のいうソウルとは内部に潜在する大霊のことです。スピリットとはそれが顕現するための媒体です。が、用語は使う人によって別の意味に使われるものです。(シルバーバーチ自身も逆の使い方をしていることがある――訳者)

『シルバーバーチは語る』P425


因みに本文で紹介している「良心」と「道義心」にも同じようなことが当てはまり、翻訳でも「コンシャンス(良心・道義心)とは何でしょうか(列席者の質問)」と一緒にしている場合もあります。とにかく英語と日本語との相違もあると思いますが、この辺りは小さな子供のことを「幼児」と言ったり「童子」と言ったりするようなものだと考えていれば良いと思います。追求的(向上心)な場合は別として、用語の区別についての過度の分析は控えた方が良いと思います。

●「人間のメイン身体」

人間のメイン身体は【霊体】【肉体】とで成り立っています。それらには独立した“心”があり、それは「神性を帯びている霊の心」と、「動物性を帯びた本能となる肉の心」となりますが、その二つを合わせたものが“普段の私達の心”となります。霊と肉との闘いは異なる二つの心の闘いです。霊が勝利すれば“霊優位(霊主肉従)”となり敗北すれば“肉主霊従(本能優位)”となります。

その比重は基本的に魂成長レベルによるようです。個々の比重だけで大雑把に言うと、「霊の心50%・肉の心50%」の人もいれば、「霊の心20%・肉の心80%」の人もいるということです。

 《「意識(心)」という言葉を用いて》

――「潜在意識がどのように使用されているかについて聞かれて」

「そのことに関して、ずいぶん誤解があるようです。精神にはさまざまな機能があります。人間というのは、自我意識を表現している存在といってよろしい。意識がすべてです。意識そのものが、個≠ニしての存在であり、個≠ニしての存在とは意識のことです。意識のあるところには必ず個としての霊≠ェ存在し、個としての霊≠ェ存在するところには必ず意識が存在します。しかし、この物質界においては、自我のすべてを意識することはできません。なぜなら――あなた方に分かり易い言い方をすれば――自我を表現しようとしている肉体(脳)よりも、本来の自我の方がはるかに大きいからです。小は大を兼ねることができません。弱小なるものは強大なるものを収容することができないのが道理です」

『スピリチュアル・メッセージ』P77


今私達が自覚している通常ないし顕在意識は「本能的意識(肉体)」と「潜在意識(霊的意識)」とが混同(同居)している意識となり、二つの統一意識が【現在の私】となります。

その現在の私(パーソナリティー)は抜粋の“本来の自我”となる【魂本体・総体的な霊的自我意識(インディビジュアリティ―)】の一部・一側面となります。つまり現在の私達は「本当の自分・大きな自分の代表として地球に生まれて来た小さな私」になるわけですが、その潜在ないし霊的意識を表面化しつつ拡大し、神性開発(魂成長)を促進させることが地上生活の唯一の目的となります。

―「でも肉体の内部にあることは間違いないでしょう?」

「魂は内部(なか)にあるとか外部(そと)にあるとか言える性質のものではありません。空間的な“場”をもつものではないのです。魂とは意識のことです。身体という“もの”に制約されるものではありません。無限の広がりをもつと同時に、進化の極地にまで存在するものです」

『シルバーバーチは語る』P425


「霊体の中に心・思考・高度な精神が存在する――これを霊の心(魂)≠ニいう。われわれの思考の多くが、実は、霊的な世界においてなされているということなのである。(中略)現代の心理学では、顕在意識(日常われわれが自覚する意識)の深部に、それとは別の、日常的には自覚することのない潜在意識≠ェあることに気がついている。実はこの潜在意識とは、霊の心≠サのものである。地上にいる限り、霊の心≠ヘ脳を中継して、はじめて自分の心として自覚される。脳という物質の道具をへるため、通常認識できるのは、霊の心のほんの一部にすぎない、ということになる」

『スピリチュアリズム入門(旧版)』P95


要約してみると【潜在ないし霊的意識が“霊の心”】となり、それがすなわち【魂(ソウル)】となるようです。因みに三つ上のシルバーバーチの抜粋は近藤千雄の「それでシルバーバーチは“あなた方に分かり易い言い方をすれば”と断ったわけで、実際は、自我とか意識は、脳を通じての思考では絶対に理解できない存在である」という言葉で締めくくられています。

●「地上の両親」

地上の両親は【肉体の提供者】です。霊がこの物的宇宙ないし地球という特殊的バイブレーションの世界で自己表現をするための“道具の提供者”となります。その肉体提供者を選んでいるのは自分ですが、理由はいろいろのようです。魂成長をキーワードに自分と両親とのさまざまな事柄が分析され、考慮され、決定されるようです。

 《余談》

●「守護霊の霊格について」

現在の私の守護霊の理解観については二つあり、一つはスピリチュアリズム総体的印象による個人的イメージで、もう一つは「スピリチュアリズム普及会」さんの『続スピリチュアリズム入門』の解説です。最初は自己理論の方を本文に書いて、この場所(余談)で【注意】を書いたわけですが、やはり無難な書き方に修正しました。

二つの比重ですが――このような機会に考えてみればの話ですが――自己理論の時もあれば『続スピリチュアリズム入門』の時もあるということです。はっきりと言ってしまえば普段はまったく気にならない事柄となるわけですが、とにかく【余談】としてこちらで自己理論を書いておくことにしました。その方が自分(サイト)らしいですし、もしかしたら正しい部分がある可能性もありますので。

《(*)基本的には「類魂」と「霊系」との意味は同じであると思っていますが、ここでは独善的な使用の仕方をしています。つまり「類魂(霊性レベルが同じ親和力)」と「霊系(霊性レベルが異なる親和力/奥の類魂)ですが、以下の説明については注意してください(*)》

私がイメージしている【類魂(グループソウル)】ないし【アフィニティ―(affinity-)】はピラミッド図形となります。つまり霊性進化レベルが同じで、霊的階層が同じ【横の類魂】もあれば、霊的階層が異なる【縦の霊系・親和力(高低の類魂)】があるということですが、一般的男女の守護霊は【同じ霊系の、一定の進化レベルを遂げている類魂の一人】となり、少なくとも地上人よりは各段霊格が高いのでは? ということになります。そうした視野を踏まえて「地上人一人ひとりの成長レベルに見合った力量の守護霊が付いている」のではないか? ということになります。

その理由を簡単に書きますと、シルバーバーチは「再生と類魂」との関連性に重点をおいて説いていますし、「類魂と守護霊」との関連性についてもさらりと語っていますが、守護霊の霊格については殆んど語っていません。ついでに言えば――守護霊を含めての表現だと思いますが――“全体的に背後霊主役的”に説いている印象があります。ただ曖昧的記憶ですが、守護霊と地上人との霊格は同格であるというような内容のことを(あっさり)と述べている箇所が一つあったような記憶もあるわけですが、とにかく「『シルバーバーチの霊訓』と、その他の霊界通信に推測を入れたら『続スピリチュアリズム入門』の解説で悩まない」ことになります。

類魂の一人としての守護霊と地上人との霊格が同じという説に納得しきれない内容(根拠)は多くあり、逆に肯定できる力強い推論(霊的理論)もあると思いますが、個人的には類魂とはもっと奥深いものがあり、高い類魂(上の霊系)の一人が守護霊になっているのではないかと(一つの推論として)思っています。

因みに極めて稀な特殊ケースのようですが、一個の魂ないし霊の半分ずつが同時期に同天体で物的生活をすることがあり、それを【双子霊(ツインソウル/twin-sonls)】と言いますが、その場合は霊性進化レベルがほぼ同じということになり、つまり階層的には横繋がりの特殊的類魂ないしアフィニティ―になると理解しています。

とにかく私も知識としての守護霊を分かっているつもりですが、この内容で分かるように理解しきれてはいませんし、個人的にはスピリチュアリズムでは重要視されている類魂(踏み込めば再生問題)の知識にはあまり興味が持てない人です。ただ霊的知識に培われた本能的といいますか、習慣的といいますか、自分や愛猫の、他の同胞や動物の類魂を強く意識することがあります。それと言い訳がましいかもしれませんが、一番大切なことは――先立つものは危険性を回避するための正しい基本的知識だと思いますが――守護霊への歩みよりです。つまり日々の協調努力であり、そこから得られる実感を増やすことであり、そこから培われる信頼を高めることです。これは実に大変なことですが、それらが神への信仰心の強力補助になると思います。

《(*)私の理解が間違っていて、守護霊が地上人と同じ霊格だとしても“肉体に宿っていない”という条件から生じるさまざまな違いがあります。たとえば人間には霊が見えないわけですが、霊には人間が認識できますので低級霊あるいは地縛霊にでさえ、地上70億束になっても(ある意味)敵いません。そうしたこと一つを見ても違います。因みに邪霊が何千・何万と束になっても(この場での象徴的表現ですが)本気で光を放った守護霊には敵いません。もちろん邪魔することはできますし、手こずらすこともできます。が(ある意味)手に負えないと判断し、本気で対応した守護霊の光輝には、一瞬で目がくらんでしまい退散していきます。

現在私は約一年近く(?)シルバーバーチから離れている状態です。ただ離れているといのは気持ちのことではなく『打ち込み朗読』のことで、適当な一冊の、一・二章くらいは時より読んでいますし、こうして抜粋をする際には雑読みもしています。それに他の文献をサイト引用したり、あるいは読んだりしていたためなどの真面目な理由からでありまして、けっしていい加減なものではなく、大分前から再度『打ち込み朗読(集中読み)』をしたい、というよりもそうしなければいけないと思っています。

いずれこの《余談》を消すことになるかもしれませんが、やはり『続スピリチュアリズム入門』を参考にされる方が賢明かと思います。このようなことを書いてしまうとあれですが、私が参考にしているのは『続スピリチュアリズム入門』の方です。ただしっくりと来ないので(何度となく納得しかけてはいますが)ここでは自分のスピリチュアリズム総体的印象を書いているということです(*)》




●【補足】
  ・「大霊ないし神」
  ・「神の慈悲」
  ・「赤ちゃん」
  ・「霊性の一部はいろいろ」
  ・「霊性はとても深淵」
 ●【解説】
  ・「霊と魂の違い」
  ・「人間のメイン身体」
  ・「地上の両親」
 ●【余談】
  ・「守護霊の霊格」

魂成長(霊性進化)

トップページ