現代「二行詩」 TOP
現代二行詩「おとろし」の投稿ページ(ブログに繋がります)
このコーナーは「二行詩の会」が、現代「二行詩」を求め表現する目的と
広く気軽に参加して頂くために設けております。
二行詩の会 編集連絡先・伊藤雄一郎
問い合わせは、直接「二行詩」掲示板「おとろし」へ書き込みをお願いします。
参加者は、
1号:安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾。
2号:ゲスト:吉田健治。安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾。
3号:安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾・布谷裕。
4号:ゲスト:小島ノブヨシ。安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾・布谷裕。
5号:ゲスト:吉田健治。安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾・布谷裕。
6号:安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾・布谷裕。
7号:ゲスト:高橋幸子。伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾・布谷裕。
8号:安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾・布谷裕。
9号:ゲスト:相馬大・岸田たつ子・全美恵。安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・高木秋尾・布谷裕。
10号:ゲスト:たむらのぶゆき・岸田たつ子・全美恵・沖秋加太。安倍慶悦・伊藤雄一郎・大瀬孝和・
高木秋尾・布谷裕。
現在、「二行詩」は10号まで月刊で出ております。
安 倍 慶 悦
風の手紙
見知らぬ夜が暖かい
消えない消印が捺してある
花
香りを集めて咲いた
春の雨を集めて咲いた
暖かい日
平原を旅していく風
丸木橋の夢を蝶が渡っていく
老 女
鈴を振っては石を積む
悲しい唄は ホーヤレホ
夢
想空と湖沼を溶接して望遠鏡をつくる
水底の宇宙を観測するために
日暮街 布 谷 裕
○
鬱血が熔けはじめる
檻を破れなかったうつむいた獣達
○
はぐれ鳩が寄り添って停まる
妙に破れ提灯明るんで
○
やっと目玉が動きだした貌
蜘蛛のように揺れはじめている
○
煙が洩れる横丁が息づいてふくらんでいる
ここだけちょっぴり華やいで
○
しまい忘れの看板にもたれ
記憶が吐切れて膝をかゝえている
スケッチ 大 瀬 孝 和
―夜の京を歩く―
○
夜の鴨川に沿って歩く
血にまみれた歴史がさむい
○
叡山は暗い くらい影だ
白い法衣をまとった季節が駆け下りてくる
○
どこまでいっても川の音
月の光を映してモノクロウムの万華鏡
○
こころの妖しい気配が見破られたのだ
突然 水鳥たちが飛びたったのは
○
血まみれの自分の心が怖い
夜の鴨川に沿って歩く
奇々怪々事件 伊 藤 雄一郎
発端
深い森の中で木々の間から垣間見たもの
男は震えた 走って逃げた 夜通し魘された
証言1
見た事がないような機器が地上に並んでいたんさ
目覚めると男は語り始めたが途中で何故か口を噤んだ
証言2
かと思うと 嬉々としてまた喋り始めた あのな、
白い炎が燃えて、まるで村の裸祭りのような光景だったさ
激昂
"危機管理システムは作動しなかったのか"
顔を真っ赤にして時の首相はライオンのように叫んだ
結末
聞き及ぶところによるとその後男は発狂し
飛来した物体は杳として行方はしれなかった
暮らしの妖怪(北斎) 木 秋 尾
わじるし(猥知日)
ひとの数だけ美しいけもの
だましえ(騙恵)
いちにちが怖いほどこころ
からくり(殻繰)
自分からしかけたものの罪
おにおに(雄尼哀尼)
やっぱり勝負こしまきですかお嬢
ひたすら(陽多巣裸)
とにかくゆらぎつづけて目覚めの烏
ゲストコーナー
今日、この期に及んで 岸 田 たつ子
ゆっくりと
つっーと一本抜けた白髪
意地でもまっすぐに地に刺さる 油断するなよ!
ここに居ます
変な熱さが咳込みながら冬の肩に止まる
五十肩
いったい何時に
足腰鍛えよう 寝たきりにならない為に
甘えておんぶされて邪魔にされていつかは極楽
やっぱりですか
しわに貼った卵のネバネバ心のひだに貼って
も20才とは言わない でも恋がしたいねェ
けしからん!
いつ何処で誰がどうして何の為に
暮らし辛いジャパンになってしまったのですか
ハングルぐるぐる抄 全 美 恵
百貨店
ペッカヂョンムと読む、訳すときは決まってデパート
何でもかんでも売っている高級なお店
便宜店
ピョニヂョンムと発音する、日本では コンビニ
何時でもどこの街にも身近で重宝なお店
親環境
チナんギョンと言う、環境にやさしい
と訳すことが多い、ほとんどの人がそうしているようだ
所 重
ソジュン! 歌詞に頻繁に登場することばのひとつで、大切
と訳すことにしている、ソジュンハニカ(〜だから)
理解心
イヘシミ(〜が)+存在詞(ある・ない)又は+多い のように使われる
イヘシンム!さて、これは?そう「思いやり」イロ(日語)が素敵
二行詩について考える 相 馬 大
『二行詩』有難うございました。やはり八号ともなるといい作品が現れてきて嬉しくなります。
考えてみますと、心ひかれる二行詩に理論をと申し上げたこと、やはり無意味であり、失礼で
あったと今は後悔しております。それをこの号で感じました。詩は作品さえ良けれと存じます。
今号では大瀬氏の作品"初春の海"が二行詩の可能性を示していると存じました。"○"が実に効
果的につかわれていると思いました。詩は空白の差が重要な要素になっているとも考えられま
す。そう言えば、山村暮鳥にこんな詩があります。
りんご
両手をどんなに/大きく/広げても/抱えきれないこの気持ち/林檎が一つ/日あたりにころがっている
この作品でも二行あれば十分ではないかと思うようになりました。
りんご
林檎が一つ/日あたりにころがっている
これだけで、前の四行分を十分内包しているように思われてきます。墓鳥は、そのあとに、
赤い林檎 林檎をしみじみみていると/だんだん自分が林檎になるという作品を書いています。
また、このあと『おなじく』して十三篇も続きますが、その中に二行詩が二篇もあることは二
行詩を考えるうえで重要なことかと存じました。今、日本は日本文化に目を向ける時代に入っ
たのではないかと思います。敗戦から六十年、還暦、目を覚ますべき時代に入ったように思い
ます。そのイミからも二行詩に関心を持って見守りたいと存じます。
(相馬様は詩集『ものに影』で独特の短詩形を編み出した詩人としてつとに知られており、こ
のたび丁重なお手紙を戴きましたが、それは計らずも二行詩論にもなっている部分があるとお
もいましたので、転載させて戴きました。我々としても参考になるところ多く、いずれ一人一
人が二行詩論を書かなければならない時期がくると思いますが、そのときにはご意見・ご批判
を戴きたいと思っている。尚、最後に相馬様の短詩を紹介させて戴き、御礼に代えたいと思い
ます。(雄)
杖
いずれは
登れぬ
坂に
影が
つづく
舞台裏からの発言
今号は木氏のHP"おとろし"で「短詩サロン」主宰吉田氏と高木氏、それに大瀬氏が
絡んでやりとりしたメールを転載したものです。このやりとりの中で、図らずも木氏
が毎号精力的に発表されている「暮らしの妖怪」の、文字通りの舞台裏、或いはからく
りが述べられておりますので、面白く、興味深いと思います。参考になれば幸いです。
(雄)
(文中敬称略)
吉田「高木さんの妖怪、よくあとから思いつくものと感心しています。木さん、やっ
ぱり妖怪の仮の姿なのかも」。
木「季語をいじっているだけのことです。浮世絵にこだわりを持って調べていったら
、江戸時代に文字で見立て番付というものが庶民の情報としてあり、当時の価値遊びと
してかなり流行ったことを知りました。私の中で、妖怪、浮世絵、錦絵、見立番付、江
戸川柳、などが繋がりつつあります」。
大瀬「季語だったのか。そんな使い方があったのですね」。
木「二行詩で妖怪歳時記をやろうとしているわけです。俳人、柳人は季語にたけてい
ます。二行詩人は季語の扱いに慣れていません。だから、不器用で面白い。季語の質感
を言葉の揶揄性、属性として再構築するパズル性と生身の直感性を意図していけたらと
思っています」。
大瀬「ということはどこにでも妖怪はいるということですな。勿論、人の心の中にも。
そしてそこが一番居心地がいいと」。
あとがき
八号まで月刊を続けてきたが、最初のころとは違う手応えを感じている。「発展途上
の詩誌ですが、意外と完成は早いかもしれませんね」(村山精二氏)有り難いお言葉で
す。理解と激励が増えれば二行詩も前途は明るいかも知れない。これからも「実践二行
詩」でいこう!(雄)
今号のゲストは岸田たつ子さん、全美恵さんのお二人に応じて頂いた。岸田さんは七
号では高橋幸子さんと名乗っていた。全さんは、詩誌『さよん』の同人。私の韓国語の
先生だった詩人。だったというのは、途中から私が通えなくなったからである。だから
私はいまも韓国語は判らない。全先生の不肖の弟子というところです。ゲストに応じて
頂きカムサハムニダ(秋)
二行詩 2005.1.29 NO.8
暮らしの妖怪(初音) 高 木 秋 尾
かるた(軽多)
そそっかしさばかりが包丁になる
指いっぽん詰めた初夢ぽとり
ななくさ(撫馴臭)
待つばかりの日々に厭きた古時計
醗酵してへのへのもへじ
としおとこ(都市男)
通い詰めてばかりの電車股旅
人身事故慣れでも雪倒れは恐い
すごろく(素語録)
無駄口ばかりで貌じゅうが口
もとへ戻って悔し泣き一休み
かんざまし(幻冷)
どこまでも獣径の臭いばかり
しらふで通り抜け叶いません
初春の海 大 瀬 孝 和
○
〈時〉が直角にまがっている海岸
を ぺらり と いちまいのなみ
○
波の音を どこまでも そまって
おとこが いちまいを めくれて
○
ぺらり ぬったり なみぬんぬ
ぺらり もったり なみぬんぬ
○
大きな白い船が視界を横切っていく
移動しつづける余白の倦怠どこまで
○
うみとそらが ただいちまいになって
ひとりのおとこも いちまいになって
伝達ゲーム 伊 藤 雄一郎
私は言った封印せよ
真夏の光と影の街を歩いた記憶を
その美しかった日々を パンドラの箱に 永遠に
隣の男は呟いた
風韻 風韻ね 風が音を盗んでいく
あ、これ安倍調だね ま、いいか
その隣の男は繰り返した
WHO IN なに? WHO ARE YOUだって?
誰だっていいじゃないか 俺は俺だよ
次の男は嘲笑って言った
不倫せよ 夫婦淫せよ 不義せよ
背徳の勧め 我が命尽きるまで
最後の人は言った
なに風鈴鳴らせ だって
まだ真冬の一月 ちと早すぎないか
安 倍 慶 悦
追 想
夢に溢れる夢は夢だった
老いからは時間も去っていく
木洩れ日
暖かい冬の日 想い出の中を蝶々が翔ぶ
忘れた時間の中から算数の授業が浮かんでくる
雨
夜若い日の時間は何処へ行った?
お手玉の中の小豆が手鞠唄を奏でる
詩 想
憬れを一畝毎に播いていく
名もない花に色をつけて
理 解
ことばの結び目を解かなければならない
ことばの足跡を辿らねばならない
昆虫抄(3) 布 谷 裕
えんまこおろぎ
風体だけでの名前は嫌いです
冷気に耐えての鳴き声を知って欲しい
首切りバッタ
朝右衛門でもこうはできまい
自分の首を噛み切る遺伝子を変えて!
キチキチバッタ
低空飛行の技術を見てみて!
どこぞの国での着陸ミスなどありません
とのさまバッタ
だからといって偉いとは思わないで
柔道では体重制 デカデブ
いなご
お前達が戻ってくる日を願っています
絶対 佃煮などしやしません
インターネット・HPより
―6号、7号について―
「6号では昆虫抄が面白く、特に、「だんご虫」の「小」
と熊の「大」が面白いコントラストですし、間に「人間」
が入って大中小と揃いました。「てんとう虫」はランク付
けが効いていると思いました。
7号では、作者の舞台裏からの発言を読んで、ブーメラ
ンの意味がよくわかりました。二行という超短詩でも、こ
れだけのことができるのかと思った作品です。
(日本詩人クラブHP担当 村山精二様)
「7号、伊藤さんと大瀬さんに注目しました。特に、伊藤
さんの視点に新機軸があり、面白く拝見しました。一つの
発見ですね。また大瀬さんのタイトル○もオヤと思いまし
た。読み終わってから、さて二行詩とタイトルの関係は?
と考えさせられました。二行詩はまだまだ発展途上の詩。
さらなる実験に期待したいと思います。(吉田健治様)
☆「二行詩」HPはこちらです。
http://www5.ocn.ne.jp/~tama3rou/hp/omote.htm
(掲示板「おとろし」も用意しております。)
※参加者募集。ゲスト、期限つき参加、レギュラーOK。
ただし、編集は伊藤雄一郎に一任して欲しい。
あとがき
それぞれの書き方によってそれぞれの表現を試みる。「二行詩」
に新たな気概で向き合ったメンバーは、いま未知の世界を模索して
いる。「現代二行詩」「現在二行詩」「未来二行詩」。呼び方はい
ろいろあるだろう。ここから何が産れ出るのか? 期待と不安を持
ちながら発展途上を楽しんでいるといえる。いや、もの好きにも
「二行詩」という難物を、どのように仕立てあげていくか苦しんで
いる。いそがしく実験を繰り返しているが、空回りしていることが
多いかもしれない。それもよしとして取り組んでいる。近道、迂回
路、切り通し、作家の数だけ径(未知)はあるはずだ。閉鎖的なこ
とは考えていない。ともに実験する仲間を求めている。(秋)
二行詩 2004.12.25 NO.7
【ゲストコーナー】
我が家に柴犬"音吉"がいました 高 橋 幸 子
いつまでも音に
ぶら下る音のにおいを手首に巻きつけ
年の瀬には大回転といきましょう
おしっこします
グッとS字にくねって地を拝み 鼻をつけて
感謝の後脚を蹴りあげます
音っぴダンス
音・音・音 前足後足の音っぴダンス
音の寝ていたソファーに淋しい固まりが横になっている
ごめんね
音のかじった棚にイスに鏡のふちに
ひとり長い留守番の淋しさに残った歯型
散歩は楽しく
どうしてそんなに急ぐの ゆっくりゆっくりなのよ音
でね 今日は二十円拾いました
ブーメランの月 伊 藤 雄一郎
1
遠い山並みスレスレにUFOのような月
と 見る間に消えた 厳冬に見た幻燈だったのか
2
山の上の 白い坊主の頭 のような月
忘年会帰りの狸が後を向いて湯煙を上げている
3
見上げると頭上高く浩々と禿頭を照らす月よ
お前も思い悩んだ末に剃髪したのとちゃうか
4
遠い山の彼方へ朝帰りの坊主のように姿を消す月
村は早くも朝餉の支度に追われている
5
朝空 に取り残されたような月
レントゲン写真のように透き通っていて…
感傷的な歌 大 瀬 孝 和
○
はるかに遠いものが巡りつづけている
わたしもまた不様に美しく死にたい夕焼け
○
私は媼ばかりの部落を通りすぎた
黄葉が音もなく降り敷いている夕暮れ
○
葡萄の樹が太い幹を苦しんでいる
わたしもまた祈るべきことを知らない夕闇
○
白い神の馬があらわれてくる白樺の林である
枯れ葉は限りなく大地をめざしている月光
○
山襞の細い道が蜂蜜のような朝の陽に照らされている
あなたは血塗れのわたしに向かって生きよといった
※旧約聖書エキゼル書十六章六節
暮らしの妖怪(青春) 高 木 秋 尾
ほかり(帆借)
修羅酒酒酒でしてね。
浮いたまま逃避でしたね。
しかり(詩歌離)
書けませんでしたよ。
流氷がきて春てなもんです。
でくり(木偶履)
形ばかりですから内緒でした。
判りましてね。其れからのことです。
でんでん(電伝)
インターネットで出会いましてね。
電撃つうかー。相乗りでしたよ。
こくり(狐狗狸)
頷きましたね。
なにしろお嫁さんに化けましたから。
昆虫抄(2) 布 谷 裕
土蜘蛛
袋の底で体重を気にしている伯母様
食い過ぎて階段を登り損ねて骨折
蟻地獄
待つだけのささやかな仕掛けです
動きまわる人間界のは恐ろしすぎて
蜜 蜂
季節を先取りして渡り歩く
日本荒廃を発信し続けて
ひ る
頭が似ている撞木鮫がいます
遠い親戚って訳ではなくもないか
なめくじ
固くなっての長い冬眠
梅雨のじめついた日々を夢見て
舞台裏からの発言
※今回は締め切りに間に合わずパスさせてもらいましたが、自分に与えられ
た時間も残り少ないので、1ページでも2ページでもやっていこう、自分の世
界に戻ろうという気持ちが強くなっている今日此の頃です。(安倍 慶悦)
※目線の詩を書きたいと思っていた。例えば、水平線に見える山から始まっ
て雲、空、太陽(或いは月)と廻って、地上に戻り、樹、影、足跡、人などを目
線で書いていくという、言ってみれば、"ブーメランのような詩"を。今回は月を
軸にして、水平線、45度、90度、そして、また水平線に戻るという実験を試
して見た。(伊藤 雄一郎)
※詩は基本的には主観でしかない。しかし、それを超えた説得力を要求される。
どこで誰をどう納得させるかは表現者ただひとりの姿勢でしかない。「二行詩」と
いう仲間うちでも同じこと。それぞれがそれぞれの主観を大発揮してこそおもしろ
い。より自由に書けたらいい。「二行詩」に定型はない。くりかえし言うが新しい文
学なのだ。保守的な作業をしてきた詩人には向かないと思っている。芸術である。
楽しもう。(高木 秋尾)
あとがき
高橋幸子さんが新しく参加された。本名は岸田たつ子。泉たつ子とも言った。
覆面作家というわけではないので、正体をばらしてもかまわないだろう。
ユニークな発想の持ち主なのでこれからも楽しませてくれるだろう。
ひとりでもユニークな作家が増えればバラエティに富んだ紙面になると思う。
我と思わん方は参加して欲しい。ゲスト、期限つき参加、レギラー、いずれでもかまわないと思う。
ただし、編集は伊藤雄一郎氏に一任されたい。印字は高木が受け持つ。
参加費は、大冊にならない限り無料。多くのかたに楽しんでもらいたい。(秋)
二 行 詩 2004.11.25 NO.6
安 倍 慶 悦
老 木
春も夏も秋も冬も魂は老いた
時間を祭るのは終った
挽 歌
時間を葬送する
地獄への暦がまためくられた
別 れ
私の脳髄は記憶の墓場
魂の牢獄が解体しはじめた
微 熱
吐いた息が紅葉している
銀河を指輪にしてあなたに贈ろう
憂 鬱
生まれた時から自壊作用は続いている
酒乱の鬼の笑い声が響く
昆虫抄(3) 布 谷 裕
かめ虫
痴漢撃退にお使い下さい
一度位 お役に立ちたい
だんご虫
またまた丸くなって死んだふり
人間の馬鹿! 熊には効かないってば
玉 虫
玉虫色の決着になど使うな
青空にきらめく私の色を汚すな
てんとう虫
背中の星数の差は問題ない
ランク付けのない集団冬眠
うすばかげろう
薄暮は飛行しても気づかれず
風の日は翼をたたむ
暮らしの妖怪(冬) 高 木 秋 尾
鎌 鼬
こっから先はとうせん貌
雪ずりの脛に切り傷 緋の前線
虎落笛
おいでおいでと髪がのびる夜
その髪噛んで吹く音にも似て
雪女郎
回廊に佇って長談義ですかハイヒール殿
雪だまり擦り抜けご免なすって右扉まで
狐 火
あおくあおく寒い火 ほっ
おとむらい日和ですね ほっ
懐 手
どてら着込んで股火鉢の写真
お祖父さんが妖怪だったころ
百年後 伊 藤 雄一郎
半 減
人口は現在の半分 国土はいっそう森林化して
猿たちが王国を造っている
反 目
猿とヒトが棲み分ける境界線に落ちた一個の林檎
その所有を巡って一触即発の危機 モンキッキ※
反 感
腐臭が両者を分けて離して 平和が戻ったが
敵もさるもの 引っかくもの 傷残して去る
半 農
鎖国した江戸時代に似て 0サム成長
質素で 自給自足の生活に満足している?
絶 句
アジアの中心は中国とインド 日本は東洋の片田舎に
なっているかもしれない 没落国家の見本として
※猿語で "おらっちのだ"という意。
四季抄―鏡と風をめぐって 大 瀬 孝 和
春の鏡
笑う風
遊星が一つ転がっている酔っ払い
夏の鏡
風の盆祭り
おんなの掌から夜の海がひろがってくる
秋の鏡
銀色の風の旅人
城址の石垣はモザイク文様を磨いている
冬の鏡
無名の木
風の斜面を白い巡礼たちが磨いていく
夜の鏡
風の夢
星辰と白い雲などいくつかの断念
☆
読者からのお便りA
○俳句でもない短歌でもない二行詩を復活させていただき、嬉しいことです。
凝縮された詩想、よく考えさせられます。 (長谷川富貴様)
○「二行詩」おもしろく拝見致しました。啄木の三行詩と現代俳句、もしく
は短歌の隙間でしか表現できないもの。それを狙った詩情文体と見極めまし
た。是非、つづけてください。 (通雅彦様)
○一行詩、二行詩、三行詩、四行詩…。そして最近五行歌(五行になると詩で
はなく、歌になるのですね)というものを知りました。それぞれの定義という
ものを私はまだよく分らないのですが、短詩というものにはとても引かれます。
(渡辺洋様)
○なによりも感動の声を誘発してくださる詩になることを祈ります。何故二行
詩か、について思索の深化も期待されるところです。 (廣島一雄様)
○短詩形への新しい試みと、目指す五人の方々の意欲も伝わってきます。
言葉を削り、捨てての究極の佳境を見せる二行詩の真髄を楽しみにしています。
(今辻和典様)
お便りお礼申し上げます(二行詩の会)
あとがき
なぜ、いま「二行詩」なのか。と問われたら、五人のメンバーは、それぞれの想いを口にするだろう。
が、私としては、まず、書きたいのだから書いてしまえ。と思っている。表現途上の形式を手に入れた
のだから何でもやっちまえ。という、いささか乱暴な発想ではあるのだが、理屈をこねて書かないのよ
りは潔いと思っている。そんなわけで月刊という無謀な提案をしてしまった。ほんとうはきついが、持
ちネタが尽きてからが勝負だろうと思っている。苦し紛れにどのような表現が飛び出してくるのか楽し
みである。また、彫琢する心というものを養えられれば、論は育ち、ひとりひとりの「二行詩」という
枠を越えて説得力を持つことになるはずである。(秋)