ボノボと 縄文人 (討論)


                    

                下 野  博  坂 野  泰   松 田 悠 八


            ●縄文人は「もったいない」と思ったか
           
           <坂野> 松田さんから転送してもらった『縄文遠望』感想文、あれ、おもしろ
                かった。
                プリント・アウト、読んでみましょう。
  

               >教えていただいた縄文関連HP、おもしろくて、ついつい行っちゃあ、
               >読んでしまっています。

                 松田さんが、『縄文遠望』を宣伝してくれましたね。

            
   >神社のヘビもおもしろいけれども、「クリの栽培」論争もおもしろい
               >ですねえ。でも、クリの栽培以前に、縄文人に「もったいない」とい
               >う観念があったのだろうか? おそらく、なかったのではないか。
               > ヒトと3%しか遺伝子が異ならないと言われるボノボには、「もっ
               >たいない」という感覚は、おそらくないようです。縄文人って、どの
               >くらい「人間」だったのだろうか。

             
   >「クリDNA」からだけじゃなく、「縄文人の人間性」から、とっくり 考
               >えてみたいな〜、とか……なんだか、研究したくなってきてしまい
               >ました。いや、そんなこと考えているヒマもないのですが……でも
               >おもしろい!
 
               >リチュアルとレリジョンの発生というのも、考えれば考えるほどお
               >もしろい!  どのへんまでがグレイゾーンなのだろうか!  ドキ
               >ドキ。


                以上です。どうでしょう、下野さん。

           <下野> どうでしょう、ったって……(笑)

           <坂野> 「縄文人の人間性」なんて、ずいぶん大胆な視点です……。

 
           <下野> ……。

           <坂野> ボノボって、知ってました?

           <下野> 知りません。チンパンジー?

           <松田> ぼくも知らなかった。ネットに聞いて、やっと、チンパンジーと同じ、
                 類人猿の仲間だとわかった。
                          
           <下野> ああ、そうか。どっかで聞いたような……。
                感想の筆者は、どなた? 女性……ですか。

           <松田> 女性です。若手の翻訳家。シカゴ大の大学院へ留学経験もあって、
                とにかく凄く、本は読んでます。ユーモアのセンスがあって、おもしろ
                い人なんです。ハンドルネームは、sweetfish。それ以上のことは、伏
                せておきます。

           <下野> sweetfish? なに? それ。甘エビってのは知ってるが、甘ザカナっ
                てのもあるの?(笑)

                 シカゴ大で何を勉強したんだろう。文化人類学かしら。リチュアル
               (儀式)とレリジョンとの境界、なんて言い方からすると、そんな感じ。
                油断できんぞ、これは。

           <坂野> そうですか。

           <下野> 縄文人って、どのくらい「人間」か? もちろん、100パーセント人間
                ですよと、素直に答えていいかどうか。

           <坂野> いけませんか。

           <下野> そんな答えがほしいんじゃない。進化論の講釈なんか、どうでもい
                 い。100パーセント人間なら、それを「人間性」から証明して見せろ、
                 って言われたらどうする?

                 下手(へた)に答えて、何だ、「日本の先史を語る会」の実力って、 そ
                の程度のものかと、陰で、舌でも出されたらどうする?

           <坂野> どうもしませんよ(笑)。彼女は、無邪気に聞いてるんじゃないですか。
                だって比較の対照に、ボノボを出しているんだもの。しかも、ヒト とボノ
                ボの間に縄文人を置いて、縄文人はヒトよりボノボに近いって、 いくら
                何でも、これはひどすぎる。無邪気すぎませんか。

           <下野> うん。

           <坂野> だからね、あんまり無茶な問題の立て方、しないでほしい、現生人類
                 =ホモ・サピエンス・サピエンスは、およそ20万年前にアフリカで進化
                 し、地球上に拡散した。縄文人も、われわれも、同じ現生人類の仲間
                 です。ヒトとボノボの遺伝子は、3パーセントしか違わないそうだが、 縄
                 文人のはヒトそのもの。ほとんど100パーセント同じです――答えは、
                 これ以外にないじゃないですか。

           <下野> でもね、それは人類であって、人間じゃない。
                 人類についての答えは一つだが、――いや、必ずしも一つだけじゃな
                 いか。
                 あなたは現生人類アフリカ起源説、いわゆるアフリカのイヴ仮説によ
                る一元論、らしい。私はいまだに、そう、いまだに、モンゴロイド はアジ
                アで独自の進化をした旧人の子孫じゃないか、という多地域進化 説に
                こだわっている。ま、それはこの際、どうでもいいか。

                 つまり人類についての答えは、一つか、一つ半、せいぜい二つ。しか
                 し人間についての答えは、いくつもあるし、あっていいのじゃないか。

           <坂野> それはおかしいですよ。問題のレベルが違う。問題を拡散させちゃい
                 けませんよ。縄文人は100パーセント、人間です。早い話が、sweetfish
                 さんが、野生のボノボの群れの中へ入って行ったとする。彼女がどんな
                 に愛想笑いを作ったって、ボノボは彼女を、メスとは認めないはずだ。
                 歯をむかれ、追い払われるのが関の山。

                 ところがもし、彼女がタイム・スリップし、縄文人のムラへ入ったと する。
                多少の時間はかかるかもしれないが、縄文人は、必ず彼女を女性とし
                て認めるはずだ。彼女は認められ、それほど抵抗しなければ、縄文男
                性との間に赤ん坊も生まれる。可愛い赤ちゃんが、何人もできる。100
                パーセント、同じ人間なんだから。

                 しかし、ボノボとの間で、そうはいかない。仮りに何かのはずみで、 ボ
                ノボのオスとの間にセックスが成立したとしても、子どもは絶対に生まれ
                ないはずだ。同じ霊長類でも、ヒト科とボノボ科、動物としての 「科」のレ
                ベルが違うんだから。

           <下野> はずだ、はずだと言っても、何も証明したことにはならない。

           <坂野> 証明の必要なんか、ないですよ。比喩だろうと、ジョークだろうと、 「科」
                のレベルで違うヒトとボノボを、並べて論じちゃいけない。そんな議論に、
                意味はないということです。

           <下野> わかった、わかった。わかりました。明快です。異論は立てられませ
                ん。

                 異論を立てるわけじゃないけど、このひと、sweetfishさんが、「人間で
                あること」の決め手の一つとして、「もったいない」という観念を持ち出し
                た。
                 そのことが、鋭いというか、ユニークというか、私には感動的なんです。
                「もったいない」という観念は、縄文人にはなかっただろ う。なければボ
                ノボと、たいして変わりはないじゃないかと。

           <坂野> なんでそこへ、ボノボが出てくるんですか。

           <下野> うん、うん。あんたが怒るのは当然だと思う。

           <坂野> 別に、怒ってなんかいませんよ(笑)。

           <下野> うん、うん。でもね、あの大学者・柳田国男先生にしてからが、日本
                 列島の先住民について論じた、初期の論文では、縄文時代そのもの
                のことじゃないが、彼らの末期の文化段階を、「私は涙をふるって、こ
                れを猿時代と名づける」と書いてるんだ、猿時代、だよ。

                 sweetfishさんは、初期の柳田みたいに、偽善的に涙なんかふるわな
                い。 アッケラカンと、類人猿を持ち出している。今まで門外漢だった
                sweet さんが、たまたま、サルを縄文人に並べたとしても、そんなに咎
                めることじゃないと思う。

                 sweetfish女史は――

           <坂野> とうとう、女史になっちゃった(笑)。

           <下野> いや、彼女の言おうとしていること、私にはよくわかるんだ。私は 『縄
                文農耕の世界』の著者・佐藤洋一郎さんを批判して、「自由だの奔放だ
                のという現代用語を、縄文解釈に挿入するな。すれば、きっと間違 う」
                と言いました。                          
 {討論(2)}

                 その舌の根の乾かぬうちに、私は、各地の縄文遺跡のゴミ捨て場か
                ら、 大量のクリの実が出土することについて、「クリは、建築用材を採
                るために使われた。保存のきかない実は、少々
もったいないが、捨て
                てしまえ」と、縄文人が考えたからだろう、という解釈を立てました。
                               
{討論 (3)やっぱり、クリの栽培はなかった}

                  しかし縄文人に、ほんとに、
「もったいない」という観念があったのか。
                それは、もっとずっと後世に発達した観念なのじゃないか。佐藤洋 一郎
                 さんを批判した私自身が、軽率に、後世の用語を縄文に挿入しては い
                ないか、と――sweetさんが言おうとしているのは、このことだと思 う。

                 実際「もったいない」が、初めて文献に現れるのは、やっと室町時代に
                なってからです。つまり、日本語として登録されたのは、非常に新し い。
                そんな新しい言葉を使って縄文を論じるなと、sweetさんがそう言ったの
                だとしたら、ありがたい忠告じゃないですか。

           <坂野> なるほど、そういうことか。

           <下野> そういうことです。

       
   ●「もったいない」の後ろに神がいる

           <下野> 「もったいない」って、ほんとに不思議な言葉だと思う。語感に、何かし
                ら重い、うっとうしいものが、つきまとっている。これって何だろ うと、実
                は考え始めていたところなんです。

                 ノーベル賞の田中耕一さんが、どっかで、こんなスピーチをした。

           
     「調合を間違った試薬を、もったいないから捨てずに置いた。たまたま
                それを使って実験した結果が、ノーベル賞につながる新発見になった。
                もったいない、という気持ちが、ノーベル賞になったようなものです。 「も
               ったいない」という言葉は、英語にはない。日本人だけの独特の感情の
               ようだ。この気持ち、この言葉をこれからも、大事にしたいし、みな さん
               にも、だいじにしてほしい」


                とまあ、だいたい、こんな意味のスピーチだった。
                確かに、和英辞典を引いても、ズバリ当てはまる表現はない。価値のバ
               ランスが取れないとか、ふさわしくないとか、ぎこちない訳語がつい ている。
               欧米語のすべて、おそらく同じじゃないか。

                ほんとに「もったいない」って、日本語だけのものなのか。朝鮮語に は、
               中国語にはどうだろう。東南アジアの農耕民族語には、北東アジア の言
               語にはどうだろう。田中耕一さんも、もちろん見極めたうえでのス ピーチ
               じゃないでしょう。比較言語学では、調べがついているか。

                もし、日本語だけのものだとしたら、当然これは、文化を比較するう え
               での重要な指標になると思う。「もったいない」の文化と、そうでな い文化。

               「惜しい」とか「大切だ」という表面の意味だけじゃないよ。その意味なら、
               どんな言語にだってあるだろう。だけど、「もったいない」は違 うんだ。こ
               の言葉の後ろには、神さまがいる。そんなムダなことしちゃ、 神さまに申
               しわけない、という。

               「神さまに悪い・申しわけない」という意識、感覚が背後にあって、それが、
               この言葉の重たい、うっとう しい語感を作っている。神さまと言っても、ア
               ニミズムの神だから、たいした神さまじゃないけど。イネの神さま、民俗
               学で「稲魂(いなだま)」 というやつ。穀霊。ムギの神さま、イモの神さま。
               クリやトチの実の神、 豊穣の神、山の神、海の神、川の神、それこそ何
               でもありの八百万(や およろず)の神々がいる。



           <坂野> 語感の印象だけで、言い切っちゃうんですか。

           <下野> いや、違うんだ。「もったいない」って、すごく複雑な言葉でしょう。 主
                な意味が二つある。

            
    1)捨てるには惜しいから、だいじに取っておこう。

                 田中耕一さんが言ったのは、もちろんこの意味だ。もう一つ、特別な
                意味がある。

           
     2)身分不相応のことで、畏(おそ)れ多い。

                 これはもう、ほとんど乞食の言葉だが、今も生きている。

                 そして、だいじなのは、1)の意味の後ろに、神がいるから、2)の意味
                が生まれた、ということ。つまり……
                 いや、よそう。うまく話が、まとめられそうにない。
                 実は今、『もったいない考』みたいな文章
(*)を、まとめているところな
                 んです。もうじき出来そうだ。出来たらみなさんに、メールで送るから、
                 それをご覧のうえで、改めて批判してください。
                                         
 (*文末「ちょっと道草」からどうぞ。)
                 今は手っ取り早く、結論だけ。
                 結論――日本語と縄文語の関係もわかっていないのに、「もったいな
                い」という言葉そのものが、縄文時代にあったとは言いませんよ。ことに、
                階級分化の進んでいないこの時代に、2)の意味の「もったいない」 が
                使われていたはずはない。しかし、「捨てるのは惜しい」とか、「惜 しい
                から、しまっておいて、後で食おう」という、1)の意味での「もったいない」
                に相当する言葉や観念は、縄文時代にも、必ずあったと思 う。

                 そうでなければ、縄文の住居址(し)に、貯蔵穴や貯蔵のための土器
                が、残されるはずはない。
                 いや、「惜しいから・たいせつだから、取っておこう・貯めておこう」 とい
                う言葉や観念は、土器の発生とともに生まれ、土器の発達にともなって、
                1万年以上、縄文のムラ・ムラで使われ続けた、と考えるほうが 合理的
                だろう。そして、「神さまに申しわけない」という言葉のニュアンスも、ア
                ニミズムが列島中に瀰漫(びまん)していたこの時代の、どの時期にか
                生まれて発達した。

                 縄文1万年の間に、おそらく千の単位で、人々は飢饉や山火事を経験
                したに違いない。それらの災害を通して、神への畏れをともなったこの言
                葉が、縄文人の意識や感覚に張りついた。彼らの食生活は完全に、 こ
                の言葉によって規制されていた、と考えていいのじゃないか。

           <坂野> だから、「もったいない」という観念も言葉も、縄文時代にはあった …

           <下野> あった。縄文語で、何といったか、知らないが。

           <坂野> アイヌ語からのアプローチは、どうでしょう。

           <下野> そりゃ無理だ。でも、1)の意味での「もったいない」は、アイヌ語でも十
                分に発達しているようだ。

           <坂野> やっぱり、アイヌ語辞典引いてみましたか(笑)。

           <下野> うん(苦笑)。何種類か調べました。あまり意味はないかもしれないが。

                 ただね、土器を持ち、採集をベースにした生活が、1万年以上も続い
                 たんだよ、世界の先史・古代史に例がない。しかも、西日本の1部を除
                 けば、完全に鎖国の状態だった。気の遠くなるほど長い、低い生産性
                の閉鎖系社会で、「もったいない」以上に発達する言葉が、あっただろ
                うか。もしかしたらこれは、縄文のキーワードかもしれない。

                 だから、sweetfishさんの指摘は、ありがたい忠告としてうけたまわりま
                すが、「少々もったいないが、捨ててしまえ」という発言を、私は、いささ
                かも修正の必要を認めません。

                 と同時に、石器も土器も知らない、言葉さえ持たない類人猿ボノボと、
                縄文人とを並べるのは、やっぱり不当であると、私も、坂野君と同意見
                です。

           <坂野> やれやれ、やっと。ずいぶん遠回りしましたね(笑)。

           <下野> はい。じりじりっと、縄文人の人間性に迫ります(笑)。

                 しかし、ボノボというのをね、私はアメリカかどこかで飼われている、
               知能の高い実験チンパンジーの名前だと思っていた。違うんだ。

           <松田> 違います。チンパンジーとは別種の類人猿の仲間なんです。アフリ
                カのコンゴだけに棲んでいるらしい。
              
           <坂野> ぼくも松田さんに教わって、ボノボのサイトにアクセスしてみたんで
                す。彼らの性行動が、おもしろい。目からウロコの思いがした。

           <下野> ほう、おもしろそうだ。聞かせてもらえる?

           <坂野> いや、後で。オフレコになってからにしましょう。(笑)

                 本論に戻って、縄文人の人間性に取り組みますか? 大胆不敵に……
                 (笑)

           <下野> でもね、それが出来るのは、やっぱり、アマチュアの特権だろう。

                 ただ、特権はいいんだが、自由だの奔放だの、無責任な放言をして
                もしようがない。アマチュアはアマチュアなりに、考古学の達成に立っ
                て考える。それはルールだし、最低のエチケットだと思う。

                 縄文人を、森と共存した、緑の戦士みたいに言う人がいる。これなん
                 かも、完全にルールをはみ出しているよね。縄文人は自由な意志で、
                 森と共存していたわけでも、まして、自然保護をやっていたわけでも
                 ない。 それが証拠に、農耕が始まれば、まず真っ先に、森を伐採して
                 畑を作っている。

           <坂野> 自然破壊は、農耕とともに始まった。

           ●土偶の祭り




           <坂野> ルールとエチケットを守ったうえで、人としての縄文人を、どのよう
                 に描きます?

           <下野> 縄文の遺物で、何と言っても目立つのは土偶だよね。万の単位で
                出土 している。使われ方は、まだよくわかっていないらしいが、祭り
                やマジナイの道具であったことは、間違いないだろう。

                 このことから言えるのは、まず、縄文人の信心深さ――

           <坂野> 信心、ですか。その言葉、使っていいかなあ。ちょっと抵抗がある。

           <下野> ……ああ、そうか。森羅万象・山川草木・一木一草、すべてに霊や
                神が潜んでいたら、信心なんて、しているヒマ、なかったかもしれな
                い。

                 医者もいなければ、産婆もいない。何が起こっても、祈ること以外に、
                テはなかった。神々に、べったり寄り添い、貼り付かれた日常だ。自然
                からも神からも、人は独立していなかった。宗教以前の状態だね、これ
                は。

           <坂野> でしょうね。ただ縄文1万年を、アバウトにひと括りするわけにはい
                かない。土偶と言えば、ほら、八戸(はちのへ)・風張(かざはり)遺跡
                ですか。あそこから出土した合掌土偶。あれ、いつ頃のものでしたっ
                 け。

           <下野> 合掌土偶? 後期の終わりじゃなかった?

           <坂野> 実物、見ました?

           <下野> いや。

           <坂野> ぼくも図版でしか、知らないんですが、あの土偶など、もう明らかに、
                宗教の発生を思わせますね。

                 合掌土偶というから、平手を合わせたもの、と思ってたんですが、そう
                じゃないんだ。手を合わせ、指を組んでますね。今のクリスチャンが お
                祈りするときのように。
                 あれが、最も原初の祈りのスタイルだった。

           <下野> ウンチ・ポーズで、お尻を落としてしゃがんでね。

           <坂野> そうそう。後期の終わりというと、今から3000年くらい前ですね。 後
                期縄文人は、あのかっこうで、神さまを拝んでいた。

                 合掌土偶は、拝まれる神さまの像じゃない。拝む信者の姿の造形でし
                 ょう? 森羅万象の神々の中から、ひときわ抜け出た、エライ神さまが、
                 当時生まれていた。その神さまに捧げた、信仰のしるしですよね。

                 これはもう、完全に、単なる呪術・マジナイでなしに、宗教の発生・ 存
                在をうかがわせますね。ほんとは24時間、拝んで祈らなきゃならないん
                だが、それではあんまり面倒だから、礼拝土偶を作って供えてお こうと、
                拝む側に、そういう手抜きの知恵も生まれていた。というのも、 いかに
                ももう、ある程度成熟した宗教の存在を思わせる。(笑)

           <下野> うん、その解釈はおもしろい。

          <坂野> これが神道の発生につながっていたりして……

          <下野> それは無理だ。もし神道の芽があったとしても、当然西日本だろう。 東
               日本の、しかも北端から、神道が発生するわけはない。

                西日本からも、合掌土偶が出土すると、おもしろいね。西日本の合掌土
               偶なら、指を組むのではなく、今風(いまふう)に、平手を合わせた合掌か
               もしれない。それなら、自然に神道の柏手(かしわで)に移れるもの。指を
               組んだ合掌から、ポンと手を打つ柏手は生まれにくい。

           <坂野> なるほど。

                 とにかく、遅くも縄文後期の終わり頃までには、単なる呪術・マジナイ
                でなく、宗教の発生が想定される。少なくも東北縄文人は、今のクリスチ
                ャンがするように、手のひらを組んで、祈っていた。

                 この姿を思い浮かべるだけで、ボノボのそばの縄文人を、われわれの
                側へ引き寄せられるんじゃないかな。松田さん、ぜひこのことを、 sweet−
                fishさんにも、伝えてくださいよ。

           <松田> わかりました。リチュアル(儀式)とレリジョンのグレイゾーン、なんて言
                葉を使っているくらいだから、このへんのところ、彼女は得意分野だと思
                いますよ。でもどうか、お手やわらかに。『縄文遠望』 で、彼女の意見、
                取り上げさせてほしいって言ったら、こんな書き出し でメール送ってきま
                した。

                >きゃ〜〜〜!ひえ〜〜〜!!!………なんともはや。
                >す、すいません。
                >なんだか学食で、勝手なことをホザイていたら、イキナリ教室で、「では、
                >さっきの内容で発表して」と指名されたような気分です。
                >げげげげげ……
                >こんなことなら予習しておけばよかった〜〜……とほほほ(;;)(;;)。

           <坂野> こんな素直ないい学生を、イビって喜ぶ教師になりたくはないけれど、
                sweetfishさんには、縄文人と渡来人との混血で、原日本
が形成され
                  た、つまり縄文人は、われわれの祖先の一部分、もしくは大部分であ
                る、という視点がすっぽり抜け落ちているような気がする。一般の縄文
                理解って、こんなものなんでしょうか。

           <下野> さあ、どうだろう。でもそれも、初期の柳田国男のレベルでね。あの人
                も、渡来の天神族と先住民とを決然と区別して、先住民は、天神族とは
                人種の違う蛮民だと解釈した。

                 もちろん、混血という言葉も使わない。天神族に討伐・平定されて、 先
                住民の大部分は、常民と混同した。混同などという、おかしな言葉を使っ
                てね。神の御末(みすえ)の天神族と、先住縄文人との血が混じった、な
                どとは、とても言えなかったのか、言う気もなかったのか。

                 これが明治の末。ところが、おもしろいんだ。戦後初めての『岩波講座
                日本の歴史』を持っているんです。1962(昭和37)年の発行。 たまたま、
                こないだ引っぱり出してみたら、縄文時代が、「野蛮の後期」 として概説
                されていた。明治の末の縄文解釈と、たいして変わっていな い。

                この3〜40年のことなんだね、縄文評価が変わったのは。今では、三
               内丸山に、神殿都市をイメージする学者まで現れた(笑)。

                ところで sweetfish さんは、「リチュアルとレリジョンのグレイゾーン」 とい
               う言葉を使っている。宗教以前にリチュアル(儀式)があった、と いう解釈、
               ちょっと私には、理解しにくいんだが、グレイゾーンと言えば、縄文の土偶
               の祭りそのものが、宗教発生の一歩か二歩手前、一種のグレイゾーンと
               言っていいのじゃないか。

                まず土偶以前に、手ぶらで、ただひたすら、神々=自然の脅威の前に、
                ひれ伏していた、アニミズムの初期段階があった。手ぶらで、というと語
                弊があるかもしれないが、素手で、裸で、直接神と向き合うのはたいへん
                だよ。どうしても、媒介するものが必要になる。

                だから土偶が作られ、拝まれた。土偶を媒介にして、神々や霊に祈願 し、
               その意思を聞く。縄文時代の大部分が、土偶礼拝だ。

                出土の量から見ても、土偶を通しての神々や霊との交信が、縄文人の
               精神生活の、ほとんどの部分を占めていた。

                縄文人が普段、最も切実に求めた神は、何だったと思う?

           <坂野> 土地の豊穣の神……

           <下野> いや、それはむしろ、共同体規模の祭りの範疇(はんちゅう)だろう。
                個々の竪穴住居の生活者にとっては、何と言っても、家族一人一人の病
                気やケガ。ことに切実だったのは、お産の神への安産祈願じゃないだろ
                うか。お産を支配する神を信じ、その神を土偶に降ろして安産を祈る。

                 たいへんだったと思うよ、あの時代のお産は。土間で子どもを産むよ
                ようなものだもの。

           <坂野> 竪穴住居の中で、お産をしたのでしょうか。

           <下野> それはわからない。弥生に入ってからなら、「産屋(さんや)」も作 られ
                ただろうが、それまでは、分娩の場所がどこだったにせよ、ほとん ど地
                面へ産み落としているようなものじゃないか。

                 生まれた赤ん坊の死亡率も、産んだ母親の死亡率も、極端に高かった
                だろうね。お産の安全は、お産の神に頼るしかなかったんだもの。

           
●処刑された土偶

           <坂野> 本多勝一さんの『アイヌ民族』(朝日文庫)では、お産の神さまにバッ
                ク・アップされて、ベテランの産婆さんが、大活躍します。物語の設定は、
                15世紀のアイヌ・コタン。確か、「産屋」のお産ではなかったと思います。

           <下野> 今も新石器時代の暮らしをしているといわれる、パプア・ニューギニア
                高地人には、住居の中で、お産をしてはならない、というタブーがあるん
                だそうだ。産婦は、ひとりで出て行って、近くの藪の下草の上なんかへ産
                み落とす。後産(あとざん)の処理も、ヘソの緒のカットも、ぜんぶ産婦が
                ひとりでする。

                 つい最近まで、お産は女の大厄、などと言われていた。縄文のこの頃な
                らなおさら、お産はまさに、生死を分ける女の大仕事だったに違いない。
                ニューギニア高地人なみに、気丈でなければ、縄文の女はつとま らなか
                った。(笑)
                                               
                 土偶の話に戻るけどね、縄文遺物の中で、最も出土の数量は多いのだ
                が、土偶については謎だらけ。

                 たとえば、完全な形で出土する土偶は、ほとんどない。ほとんどの土偶
                が、壊されて、バラバラの状態で、ゴミ捨て場などから掘り出される。この
                ことについても、解釈はいろいろあるようだが、私はひそかに、これは、
                土偶の処刑である、という仮説を立てている。

           <坂野> 処刑、ですか。

           <下野> お産の神を降臨させ、土偶に安産を祈願する。家族はもちろん、ムラ
                 中の女が集まって、安産土偶に祈っただろう。うまくいけばよい。 いか
                ないときも、あっただろう。実にしばしば。

                 生まれた赤ん坊が死ぬ。または産婦が死ぬ。あるいは産婦も赤ん坊も、
                 ともに死ぬ。そんなとき、どうだっただろう。何だ、コイツ、神さまに、 祈
                願をうまく取り次がなかった、この役立たず、と土偶はののしられ、壊さ
                れてゴミ捨て場に捨てられる。

           <坂野> なんとも、過激な仮説だ。(笑)

           <下野> いや、晩期の、あれは愛知県の遺跡からだったかな、処刑されたらし
                いシャーマンの骨が出土している。

                 拝むほうだって、命がけなんだ。拝まれるほうだって、それなりの責任
                は取らなくちゃならない。これは縄文人だけじゃない。弥生の土井が浜
                遺跡からは、明らかに虐殺された、男シャーマンの骨が見つかっている。
                 シャーマンの下した神託が間違っていて、共同体に重大な損害が出た。
                その責任を取らされ、処刑された結果がこれだろうと、遺骨を調査した、
                形質人類学者の松下孝幸(まつした・たかゆき)さんは推定している。

                 『魏志倭人伝』の時代になっても、そうだったじゃない? 倭人の航海
                には、船に持衰(じさい)という、一種のシャーマンが乗せられていた。
                精進潔斎 (しょうじんけっさい)して、航海の安全を祈る。うまくいけば、
                大きな報酬をもらうが、船が遭難でもすれば、海へ投げ込んで殺された、
                と『倭人伝』に書かれている。

                 見えない神に、責任取らせるわけにいかない。見える媒介者が責任を
                 負う。時代が下ってもそうだから、神々や諸霊にべったり寄り添い、べ
                 ったり貼り付かれていた、縄文アニミズムの時代、結果責任もシビアに
                 問わなければ、共同体がもたなかったかもしれない。

                 霊験(れいげん)あらたかな、成功率の高い土偶は、ムラの中でも、 引
                っ張りだこになっただろう。しかしいずれにしても、100パーセン トの成
                功・祈願成就はあり得ない。すべての土偶は壊される運命にあった、と
                いうのが、私の仮説。

           <坂野> なるほど。目に見える媒介者が、責任を負う。厳しい約束ですね。宗教
                がかたちを整えて、シャーマンがプロ化すると、今度はだれも、責任を取
                らなくなる。お祈りがどっちへ転んでも、それが神さまの思し召しだった、
                ということで。(笑)

           <下野> それは言える。

                 私の生まれ育った村は、宗旨が日蓮宗でね。村に重態の病人が出る
                と、村じゅうの女が、寺の本堂に籠もって、お題目を唱える。風向き次第
                で、読経の声は村じゅうに流れ、それは必死のものでしたよ。

                 こういうときに集まるのは、ほとんど女。今の学校参観と同じでね。だか
                ら3千年を飛び越えて、縄文のムラの土偶の祈りも、もっぱら女たちのも
                のじゃなかったか。

                 そう考えると、集落論考古学で言われている、土偶祭祀は女のもの、
                石棒の祭りは男祭り、という祭祀の男女分掌説が、いっそう真実らしく思
                えてくる。

                 ということは、神々や諸霊との交信をベースにした、縄文人の精神生活
                は、大部分、女たちによって担われていたということ。

           <坂野> 石棒の男祭りは、たいして精神的ではなかった、と。

           <下野> そりゃそうだ。ペニスの怒張(どちょう)に、精神は邪魔だ。(笑) 精神
                生活だけじゃない。戸外の労働だって、ずいぶん女の力に頼っていた
                と思うよ。焼き畑耕作なども、一度畑を作ってしまえば、後の大部分、
                女性労働じゃなかったか。

                 その点、男社会のほうが、牧歌的だったかもしれない。寄り集まって、
                日向ぼっこでもしながら、狩りの自慢話かなんかで、大口たたいていれ
                ばいい。

                 縄文の女は働きものだったと思うよ。貝類の採集、海草集め、海辺の
                漁労は、すべての女の仕事だったろう し、クリ、クルミ、ドングリ、トチの
                実の採集、山菜集め、そしてそれ らの加工と保存。

                 朝から晩まで、女たちは子連れで、あるいは産み月の大きなおなかを
                抱え、分娩の直前までは働いていた。

                 それでも平均寿命は、女たちのほうが高かったに違いない。土偶祭祀
                 は、長老おばばが取り仕切っていた。あるいは土偶の処刑も、おばば
                 が決めたのかも。

                 おばばと言っても40代そこそこ。それでも共同体の中では、権威の一
                人。母系社会の発祥は、縄文にあったのかもしれない。北東アジア系の
                父性原理が到来するまで、「原始、女性は太陽であった」(笑)

                 おばばは、厳しかったと思うよ。神々を背負っているんだもの。さっ き
                坂野君は、sweetfishさんが縄文人に見染められ、可愛い赤ちゃんを何
                人も生む、と言っていたが、そう楽天的にばかり考えていいだろうか。

                 タイム・スリップした sweetfish さんが、縄文人のムラへ迷い込む。 よ
                そものをどう扱うかは、やっぱり、土偶に降ろした神の意思による。 そ
                れを聞くのは、あばばの仕事だ。

                 よそものは殺せ、というのが、神のお告げだったとしたら、どうなる?
                 捕らえられた sweetfish さんは、村人たちの手で、千仞(せんじん) の
                谷底へ突き落とされて、あえない最期。(笑)

                 いや、食人儀礼が、後・晩期にまで残っていたらしい。よそものの美女
                は食ってしまえ、食えば、おまえたちも美しくなれる、というのが神意だっ
                たとしら、sweetfish さんは食われてしまうんだ。だいいち、おいしそうな
                名前だもの。(爆)

           <坂野> これは、エライことになった。

           <下野> 何人もの可愛い赤ちゃんから、千仞の谷底・みんなで食ってしまえま
                で、縄文人の人間性に迫ろうとしても、出てくる結論の誤差は、こんな
                に 大きい。ほどほどにしないと、ヤケドしそうですねと、これも松田君、
                 sweetfish さんに伝えてください。

           <松田> はいはい。
                                              (2003・2・22)

                  
ちょっと道草)  
                         「もったいない」という言葉について考える   下 野  博
                         オフレコの後で:ボノボの性行動   下野 博  坂野 泰

                         風張遺跡・合掌土偶については、下記サイトを:
                        http://www.komakino.jp/tyomei-iseki/kazehari.htm

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